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名古屋・広隆堂ブログ
名古屋から発信する、少し偏った情報と管理人の徒然なる平凡な日記。乗り物・旅・名古屋の情報・時事ネタ・テレビ・ラジオを中心にあれこれ思うことを書き綴ります!がんばろう、日本!がんばろう、東北!そして、がんばろう、自分。
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
FC2ブログへようこそ!
1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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脳外科再診
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 7月15日の退院後、10日ほどが経過しました。再び市立病院に再診に出かけました。
 MRI撮影の結果、過日の入院時に比べて左側に残った血種が縮小していました。医師の言う通り、脳が血液を吸収してくれたものと思われます。確かに頭痛の頻度も痛みも軽減されています。
 ところが、脳外科医の説明が「頭をぶつけた衝撃」を要因としている節があります。私、建設関係じゃないので頭をぶつける様な仕事や行動をしてないので、一方、かかりつけの内科医に相談すると「高血圧により血管が破れたことが原因では」とアドバイス。私、随分前から高血圧ですので、可能性としては後者の見解の方が心当たりがあります。この脳外科医は「脳」だけでしか病理分析をしない傾向があります。病院の経営はガタガタで隣町の病院との統合が決まってしまうような状況ですが、岐阜県東濃地方の脳外科では一応「できる方」の病院なんですが、この脳外科医の診断に信用ができません。3ヶ月後の再診を予約して今回は終了しましたが、画像見て診断するだけなら脳外科医なら誰でもできますので、名古屋市内の脳外科受診を真剣に考えています。

 この日、先日の入院費を支払いました。健康保険の「高額限度額認定証」制度のおかげで、少し負担を抑えることができました。入院代は一度病院に3割負担分を全額支払ってから後日還付を受ける方法もありますが、還付されるまでに時間がかかる上に医療事務の人いわく「手間がかかるので高額限度額認定証をもらってから精算してください」と言われていました。健康保険によっては総務課に申請しなくても、自分で手続きができるのでスムーズにできます。 
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テーマ:医療・病気・治療 - ジャンル:心と身体

入院2020
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 7月11日から15日までの5日間、入院しました。
 実は4週間ほど前から頭痛が止まず、頭痛薬を通常処方量の2倍飲んでも効果無し。それどころか、痛みで夜中に目が覚める始末。日中には頭がフワッと意識が瞬時に飛んでしまうような感覚があり、言葉も詰まるような事態に。恥ずかしながら、10代から頭痛薬を常時携帯するほどの頭痛持ち。40歳を間近に入院医療保険や脳ドックも受診するなど対策をしていながら、これまでにない症状がみられたことから、1週間後に脳ドックを控えていましたが、それまで耐えるのは無理と判断し受診を決断。骨折や風邪と違い、MRI撮影が必要なため、この片田舎では医療機関の選択肢が限られること、更に運悪く土曜日であることから近くの市立病院救急外来へ飛び込みました。
 救急外来は朝9時だったこともあり閑散としており、待ち時間もなく診察室へ。応対したのは、まさかの研修医。ここで見立て違いなどされては最悪ですので事細かに説明後、MRI撮影を希望すると「じゃ、やってみましょう」。病院用の寝巻に着替えをさせられ、歩けるのですが車いすに乗せられ、MRI室に案内されました。
 20分ほどの撮影の後、待合室に戻ると診察室に呼ばれ、その一角に囲いが設けられたベッドを指差し「横になって下さい」。しばらくしたら別の医師が来て「入院してください。身内の方呼べますか?」。というわけで入院が決定したわけです。その時の画像が冒頭の画像です。左側に血の塊・血種ができています。これが脳を圧迫して痛みや不調を引き起こしているのだとか。
 2日間の安静後、入院3日目に造影剤を投入しての精密検査。その結果は「出血箇所は不明だが、脳が吸収しているため鎮静化するとみられる。」とのこと。最悪の場合、開頭手術を想定してましたので長期入院こそ回避できましたが、治療もない、投薬もない、ただ病院内で軟禁状態では話になりません。
 ただ、医師の説明を聞いていると不信感が募るばかりでした。脳内で出血しながら頸動脈の状況を確認している始末。脳内で出血しているのだから、脳内での出血箇所を明らかにせねばならないところ、MRIの精度が悪いのかそれを把握できないとすれば、入院を継続しても意味がありません。4日目の回診時に退院の相談を行い「経過観察を行う」条件を呑んだ上で退院許可をもらい、5日目の朝に退院しました。
 再び自由を取り戻しましたが、爆弾を抱えた上での退院となり、今後の課題が一つ増える結果となりました。

テーマ:医療・病気・治療 - ジャンル:心と身体

西日本豪雨・ボランティア参加報告
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 7月8日の西日本豪雨では、西日本の各地で大きな傷跡を残しました。私の暮らす岐阜県でも洪水被害がありました。
「オレにも何かできるはず」
 そう思いまして、7月14日。たった1日ですがボランティアに参加してきました。本当なら岡山県倉敷市真備町や広島市・呉市あたりへ行きたいのですが、鉄道も寸断されており宿も確保できません。すると、岐阜県内でも大きな被害を受けた地域があることを知りました。新聞・テレビ等の情報もほとんど入らないのですが、調べてみると被害が甚大でボランティアが必要である模様。だったら、地元のボランティアに行くのが筋だと思い、岐阜県内の被災地ボランティア情報を調べてみると、ボランティアも予約制だったり地元の人しか受け入れないとか、思った以上に条件が厳しいことを知りました。その中、「誰でも受け入れる」「午後3時に終了」と受け入れ条件が良かった関市社会福祉協議会のボランティアに参加することに決めました。
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 近年の災害ボランティアでは参加希望者が殺到し、熊本地震のボランティアでは朝9時過ぎには受付終了となり、参加できずに帰宅した人が多数発生したというケースがありましたので「受付が終了する前に何とか現地に到着しないといけない」と思い、土岐の自宅を朝6時に出発。多治見・美濃太田で列車2回乗り換え。美濃太田6:54発の美濃市行き長良川鉄道に乗ります。しかし、関へ向かう列車にボランティア参加者らしき人は私以外に一人だけ。リュックを背負い、長靴を持っているのですぐわかります。しかし、あまりの少なさに驚きます。20分ほどで関駅到着。もう一人のボランティア参加者は窓口のある関市役所へ向かう模様で、そのまま列車は発車していきました。
 関市のボランティア窓口は関市役所脇のわかくさプラザと武儀生涯学習センター、そして上之保老人福祉センターの3ヶ所にあるということでしたが、どうせ行くなら最も被害の大きい最奥の上之保地区の様子が見たいと思い、上之保へ行くことにしました。
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 関駅近くのコンビニで食料と飲料を確保し、幸運にも冷房の効いた関駅の岐阜バス待合室で軽い朝食を食べて、8:04発上之保川合車庫行きのバスに乗り込みます。上之保に朝10時までに公共交通機関で到着する方法はこのバスのみ。しかし、客は私一人だけ。もっと、ボランティアが乗り込んでくるものと思っていたのですが、ガッカリしました。公共交通でボランティアに行く人は皆無だったわけです。約20㎞、1時間近く乗っても運賃たったの200円ですよ。
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 バスは関の街を抜けるとのどかな田園風景が広がります。ところが、途中から上之保に向かう県道とりあえず並行する津保川に無数のビニールが流れ着いています。どうも、洪水で津保川沿いにあった工場にあったビニールが流されてしまい、収拾のつかない状況になっていました。数十トン単位のビニールが津保川に流出してしまったそうです。武儀地区に入ると県道が砂を被った状態となりました。この先では冠水被害があったようです。沿道では土砂を取り除く人や冠水したのか、家財道具を庭先に出す家が目立ち始めました。
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 9:00、上之保川合到着。上之保老人保健センターにあるボランティアセンターで受付を済ませます。掛け捨てのボランティア保険にも500円払って加入しました。ボランティア業務のお呼びを待ちます。スコップ持って泥かきでもするのかと覚悟していたら、ボランティアセンターの方が声がかかります。
 「マニュアルの軽トラが運転できる方いませんか?」
と呼びかけがあったので、
 「マニュアル車なら運転できます!」
と応えると任務決定。私の任務は上之保地区の各集落へ救援物資として届けられたブルーシートを配達することに決定。受付完了から、ここまで5分もかかりませんでした。私は地元S高校の女性教諭N先生とコンビを組み、荷台に満載となったブルーシートを配達に上之保の各集落に出かけました(続く)。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

さようなら、Air-H"
 皆さん、知ってます?かつて、こんな通信端末があったことを。
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 Air-H"(エアーエッヂ)と言います。キャッシュカードほどの大きさのモバイル専用端末で、ノートパソコンに直接差し込んで「外出時に屋外でもネットができる」という謳い文句で出回っていた端末です。今では「ポケットWi-Fi」とか「Wi-Fiルーター」(会社によって名称が異なるみたいですが)持って、屋外でパソコンを持ち出してネット接続する光景を時々見かけますが、20年前はこのような端末を使っていました。最近のノートパソコンでは、このような端末を挿入する端子すら無くなってしまっています。
 この端末はPHS回線を使っており、当時のDDIポケットという会社が販売しており、DDIポケットがこの端末専用の「PRIN(プリン)」というプロバイダーを用意しておることから、端末を差し込んだ時点ですぐにネットができるという手軽さで、インターネットを始めるときに電話回線の工事が不要であることから、まだ学生をしていた20年近く前に契約しました。当時の機種は接続するたびに毎回電話をかけてつながるとネットができる「ダイヤルアップ方式」で通信速度は最高64Kbps。「Yahoo!JAPAN」のトップページが完全に開くまで10秒ほどかかる代物でした。当時は、「今後ノートパソコン持って屋外でネットサーフィンしながら仕事するするビジネスマンの時代が来る」と思って契約したわけです。
 学生時代、戦後最悪の氷河期世代の就職活動だったのですが、その頃は企業セミナー予約の時点で相当過熱しており、その受付は受付開始日の「0:00」からスタートするなんていう鬼畜な企業も随分ありました。それは、PC/ネット環境の有無が就活を左右し、それが無ければ就活のスタートラインにも立てなくなる弱肉強食の時代でした。そのなかで真夜中にPCの前でエントリーできたのは良い思い出です。当時はまだ自宅にネット環境の無い学生も多く、翌朝9時に大学のパソコン教室へ乗り込んで必死にエントリーするも、その頃にはセミナーの受付は既に満席で終了しており、泣き崩れる学生を見たこともあります。企業へのエントリーがハガキからネットへ、就職活動が情報とスピードに左右される過渡期に、この端末には随分助けてもらいました。
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 しかし、パソコン持ってスタバでコーヒー飲みながらデスクワークなんて、カッコいいビジネスマンにはなれませんでした。インターネットの世界も機種も通信回線も向上し、いまや光ファイバー回線が当たり前。近年は自宅内は1階にあるルーターから飛ばしたWifiの電波を2階の自室でキャッチし、ネットもサクサク。携帯電話もスマホに進化し、格段にネット環境も良くなりました。時代遅れとなったダイヤルアップ方式のAir-H"は使うことなく埃をかぶっておりました。その間にAir-H"はDDIポケットからWILLCOM(ウィルコム)に会社が変わり、端末の名称も「AIR-EDGE(エアーエッヂ)」に変更。更にWILLCOMからY!mobile(ワイモバイル)に会社が再度変更。その会社と契約しているのかすら良くわからなくなっていました。
 ある日、クレジットカードの明細書を見ると「ワイモバイル」という項目があるのを見つけました。携帯はauしか使っていないことから「おかしい」と思い、記憶をたどると「そういえば、あの端末。まだ解約してなかった!」と思い出し、徹夜の捜索で埃を被ったAir-H"が机の引き出しから発掘しました。解約手続きせず、この2~3年ずっと毎月3,000円程を払い続けていたことが判明。当時、約1万円の解約違約金を恐れて、それが無料になる2年契約の最終月(更新月)まで解約を引き延ばしたのを、そのまま忘れておりました。我ながら情けない次第です。端末はまだ使用可能でしたが、この端末をこれ以上使う予定もないことから、解約することとしました。
 隣町にあるY!mobile(ワイモバイル)の店舗へ持って行くと、店員がこの端末を見たことがなく、「えらい年代物ですねぇ」と言いながら解約手続きを進めてくれました。端末にはPHSの電話番号(050)があるのですが、それもまったく記憶が無くて困りましたが、端末の裏側にバーコードがあって、これに端末の情報や私の契約情報などが含まれていたそうで、すぐに解決。最大の問題だった解約違約金もなぜか「¥0」。17~8年使ったんだから許してくれたのかな。ホント、助かりました。端末ごと店舗に預けて、解約手続きもすべて終了です。
 人生で一番大変な頃を共に歩んだ通信端末とも、これでお別れです。お世話になりました。さようなら、Air-H"。

テーマ:Y!mobile - ジャンル:携帯電話・PHS

テレビ故障・ヤマダ電機の無料長期保証を使ってみた。
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 いつも当たり前のように見ているテレビ。ある日、突然見られなくなってしまうと、ちょっとしたパニックになります。
 うち、ソニーの「BRAVIA(ブラビア)」という55型液晶テレビを使っているんですけど、ある朝、いつも通りにスイッチを入れると普通に映るのですが、5秒ほどすると勝手に電源が切れてしまい、その後は一切電源が入らないトラブルが発生しました。コンセントを抜き、刺しなおしてもう一度電源を入れても、また5秒ほどで電源が落ちてしまいます。普段は白く点灯する画面中央下のLEDが赤く4回点滅を繰り返すのですが、これが何を示しているのかはマニュアル見ても一切記載がないため、困った挙句、マニュアルに記載されていたソニーの修理相談窓口というところへ電話しました。
 5分ほど待たされた末につながり、事情を話すとコールセンター氏は「液晶パネルの総取り換えが必要と思われます。費用は定価ベースで12万円になります」
じゅ、じゅ、12万?
 テレビが故障。即、家族会議です。誰が壊したとか、だから、パナソニックにすれば良かったのにとか、責任のなすり合いに愚痴の嵐。これは都市伝説ですが昔からソニー製品には「ソニータイマー」というものがあって、ソニー製品は他社製品より壊れやすいとか、保証期間が過ぎると劣化・消耗が早いと言われているのは事実です。しかし、12万も払ってテレビの修理をするよりは、買い替えた方が早いやないかという話も出たのですが、テレビは購入後4年目。故障するには早すぎます。猛烈な敗北感のなかで、マニュアル類を整理していたら、購入した時に加入していたヤマダ電機の無料長期保証書が出てきたじゃあ~りませんか!!!しかも、5年の保証期間があと半年残っている!!!!!地獄からの敗者復活です。さっそく、ヤマダ電器へ電話して保証書の番号とテレビの型番を伝え、修理を依頼しました。ヤマダ電機は「電話かけても、なかなか出ない」という噂を聞いたことがありましたが、隣町のM市にある店舗はすぐに担当者が出てくれ、ソニーに修理依頼の取次ぎをお願いしました。
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 この日から10日ほど、別の部屋にある28型テレビを代替機として耐え凌ぎました。画面の大きさが半分ほどなので、テレビ見るのも字幕が本当に小さく、毎日が視力検査状態でした。
 ある日、ソニーの方から電話があり、名古屋ナンバーの軽四2台に分乗したソニーのセールススタッフが自宅にやって来ました。気持ち悪いほど腰の低い社員で丁重にお詫びされた後、さっそく修理です。テレビの症状を説明し、実際に確認してもらうとテレビの分解を始めました。
 まず、ビスをいくつも取り出しテレビの土台を外すと、次に液晶パネル裏側のカバーを外します。いやぁ、驚きました。テレビの裏側部品は「たった、これだけ?」なんだということに。「皆さん、驚かれますよ」とソニーの方。昔、テレビが真空管で木枠の時代を知っているだけに、技術の進歩を感じます。
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 裏側のカバーを外した液晶パネルの裏側。液晶パネルの電源部と基盤が2つあるだけ。たった、これだけしかないんですね。ソニー側は最初、この基盤と液晶をつなぐケーブルに異常があるものと考えていたようで、その部分だけを交換し、テストしてみましたが症状が改善せず、電源入れて5秒ほどで再び勝手に電源が落ちてしまいます。すると、ソニーの方から報告。
 「液晶パネルがダメな様なので、液晶パネルを交換します。今日は持ってきていますので、今から交換します」
 えっ?定価12万円の液晶パネルですか?ソニーさん、エライ準備良いじゃないですか!
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 2人がかりでビニール袋に包まれた新品の液晶パネルが運ばれます。
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 基盤はこれまで使っていたものを移し替えます。マニュアルも無いのにテンポ良くビスを打ち込み組み立てていく姿は圧巻です。さすが、世界のソニーです。作業は30分ほどで終了。最後にテレビの電源を入れて操作を確認し、不良箇所の解消されたことを確認し終了です。修理費用及び出張旅費はヤマダ電機の無料長期保証が適用されるため、当然無料です。液晶パネルが新しくなり、このテレビも蘇りました。ソニーさん、わざわざ名古屋から土岐市まで来ていただき、ありがとうございました。

 今回、家電量販店の「無料長期保証」を初めて利用しました。これまで、こういうシステムへの投資には消極的で「そんな、5年以内で壊れるようなものを売っているのか?」なんてヤジって1円でも抑えようと考えていました。長期保証の料金は商品代金の5%のところが多いですが、メーカー保証が1年のところが多いため、もしものことを考えると投資する価値があるかと思います。値切った分をこちらに投資することで店員さんとGive&Takeで商談するなんて方法もあります。今回は良い勉強になりました。

テーマ:電化製品 - ジャンル:ライフ

お葬式
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 4月25日夕方、祖父が亡くなりました。95歳でした。

 7年ほど前から認知症を発症し、老々介護の限界から5年前に施設入所しました。4年前に大腿骨を骨折してから自力歩行ができなくなり、車いす生活となりました。認知症進行により知能も4歳程度のレベルまで落ち込み、昨年からは人の認識ができず、誰が誰だかわからない状況でした。1ヶ月ほど前から肺炎で入院しており、最期は静かに旅立ちました。

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 4月27日、身内だけで葬儀を行いました。出席したのはうちの家族と隣町に暮らす叔父一家のみ。静かに見送ることになりました。岐阜県は亡くなると中日・岐阜・朝日の新聞3紙の朝刊に住所と氏名が載るのですが、これは葬儀社から掲載するかどうかの選択を求められます。今回は身内だけで行う都合で非掲載にしました。
 葬儀を行ったのは土岐市の斎場です。土岐市の中央にある山の上、土岐市駅からひたすら真っ直ぐ進んだ先にあります。
 朝10時、葬儀社が棺を運んできました。男手が4人しかいませんが、クルマから斎場のストレッチャーに運び出します。これが意外と重いんですよ。
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 祭壇の前に祖父の棺桶が運ばれると、参列者が線香をあげます。その後、お坊さんが5分ほどお経をあげてくれました。一応、戒名も付けてくれました。お経が終わると、最後の見送りです。祖父の姿を見るのも、これが最後です。祭壇が高いため、背の低い祖母は私が抱え上げて、最後の見送りをしました。祖母も祖父の介護を終えた頃から認知症が始まり、独居は困難と判断されたことから、祖父と別の施設に入所しています。今回の参列者で唯一泣くかと思われた祖母ですが、現実を理解しているかどうかは誰にも分かりません。
 祭壇の奥の部屋にオフィスビルのエレベーターホールみたいにズラリと扉が並んでいまして、その扉の先が炉です。斎場職員が慎重に棺を運び込み、扉が静かに締められると、「合掌」の合図とともに「ボッ」とガス炉が点火する音が聴こえました。今生の別れです。
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 最期は骨と皮だけになった祖父ですが、終わるまで1時間10分ほどかかりました。炉から運び出された変わり果てた祖父の骨を拾いました。私、38歳にして葬儀初参列だったのですが、人の骨って理科室の標本みたいにしっかりしているのかと思っていましたが、高齢者の骨はボロボロなのだそうで、祖父の骨も大腿部や頭蓋骨の一部を除いて、原型を留めていませんでした。炉で焼いた熱と独特の臭い。忘れられません。
 祖父は学もなく、貧困から「腹一杯メシが食べられる」という理由で軍隊に志願した人だったそうです。復員後は陶磁器の窯焼き職人を経て自分の工場を持ち、今は両親が継いでいます。子供の頃は軍隊時代の話を面白おかしく話す人でしたが、無学の職人肌でしたので、朝5時に起き夜8時には寝る無骨な人でもありました。
 祖父とは8年ほど前にぶっきらぼうに返した会話が最後でした。もう少し、色々な話を聞いておけば良かったと反省しています。この人がいたから、今の自分がいる。この事実を噛みしめて、これからも生きていきます。ありがとう。合掌。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

新年度に思う、切磋琢磨すべきこと
 4月1日。新年度に突入しました。
 我がブラック企業にも2人の新卒社員と中途入社が1人やって来てくれました。

 今の職場へ来て、困っていることがあります。それは人の出入りが激しいことです。既に何人もの仲間が職場を去っています。私が知っているだけで昨年度は9人。これが社員数500人・1,000人の会社ならいいのですが、数十人の企業ですから深刻な問題です。寿退社などの理由ならまだしも、退職理由の大半は悪いものばかり。

 昨年末にやって来た新人も営業所長の執拗ないじめが原因で、つい先日、退職してしまいました。在職3ヶ月。これでは履歴書にも書けませんが、社会保険に加入しているので履歴に傷がついてしまいました。
 27歳で社会人経験なし。明らかに能力不足ですが、せっかく会社の門を叩いた人材なのだから、育てることで戦力にすれば良かったのですが、教育を放棄した職場で新人が育つはずもなく、ダメ出ししかしない愚かな指導は新人の意欲を日々へし折り続け、最後は営業所長と大喧嘩という最悪の展開でした。
 能力不足で営業が無理なら、最初は配達などのチョイ役を担ってもらえばよかったのですが、私も彼に手を差し伸べられなかったことを反省しています。
 
 すぐに仕事を辞めてしまう人、結構います。私も何度か職場を変わっているので、「こんなはずじゃなかった」とか「聴いていた話と違う」といった事例や、会社の体質的な問題に起因するイジメなどで辞めたくなってしまう気持ちも分かります。しかし、これを組織が一方的に「個人の問題」として片付けてしまうのは、如何なものかと思うんです。突き詰めていくと会社側の指導技術の不足という問題が個人の問題以上に大きい気がします。

 先日、会社に影響力のある別の上司(在職11年目)が私に「オレは職場をもっと良くしたいと思っている」と、職場内で規律を守り、互いに仕事で切磋琢磨する重要性について熱弁してくれましたが、あまり響きませんでした。むしろ「お前、10年もいて、会社がこのザマであることに情けなくないのか」と思ってしまいました。言いませんけどね。上司は正論ぶって言っているのですが、そこに会社の病理が隠れているのです。
 
 誰だって、職場を良くしたい。給料を上げたい気持ちを持っています。だから、仕事を精進し自ら腕を磨くのです。その気持ちが高ぶると、連帯していくために同僚と共に「切磋琢磨」していくのですが、その方向性が途中でおかしくなった結果、同僚への単なる「つつき合い」「ダメ出し合戦」という次元の低いものとなり、それが職場の士気を下げてしまい、有望な社員が次々と職場を去ってしまうのです。

 営業はプロセス関係なく、結果が全てです。したがって、数字を見れば一目瞭然。そこで他人を批評・批判するのは、思った以上に簡単です。しかし、本当に会社という組織を盛り立てていきたいのなら、褒めて伸ばすしかないのです。次に繋がりそうなものがあれば、そこで褒める。原則、野放し。暴走し始めたら、そこで初めて指導する。人材を育てずして会社は永続していきません。永続させるためにも、指導・継承する技術が職場のメンバーすべてに求められるのです。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。(山本五十六)

テーマ:働くということ - ジャンル:就職・お仕事

過矯正
 私、視力0.1未満の近眼でメガネ歴約20年になります。先日、酔った弾みで転んだようで、レンズに傷が入ってしまいました。外回りをする身として、傷がハッキリ見えるメガネで仕事ができません。今のフレーム「999.9(フォーナインズ)」は気に入っているので、「フレームはそのままでレンズだけ交換希望」という条件でメガネ店を訪ねることにしました。
 ところが、レンズ交換だけとなると売上に直結しないのか、チェーン系を中心に嫌がる店舗が多いのに驚き。また、引き受けたとしてもレンズ2枚で5,000~18,000円と店舗により料金格差があることが判明しました。メガネって、使う者にとっては生活必需品なんですよ。その修理でここまで差が出るのはどうかしてます。
 メガネ業界も自転車業界と同じで、競争激化の末に粗製乱造・売りっ放しでアフターケアの弱い店が多い構図は同じで、修理などアフターサービスで稼ぐ視点が欠落している業界ですね。
 そこで、お店の場所やレンズの取り寄せで納品まで時間のかかる・かからないなど諸条件を考慮し、レンズ2枚7,500円の店で決定。
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 では、視力検査に挑みます。メガネを使わない方向けに、画像を用いて説明しましょう。まず、最も良い視力を出すにはどの程度の度数が必要か、屈折度数の計測します。数値に若干の誤差が出るので、通常2~3回繰り返して計測します。
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 はじめは絵がボケて見えているのですが、徐々にクッキリ見えてきます。その時の度数が適正な数値なのですが、やや強めに出ることが多いようです。結果はレシートのような紙に印字されて出てきます。
 ここで店員さんの表情が曇りました。その時は理由はよく分かりませんでしたが、後に理由が判明します。
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 次に、この機械で細かい部分まで計測を行います。
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 左の画像はレンズをあてがい、赤が明るく見えると近視、緑が明るく見えると遠視気味となります。そして、右手の放物線がどれも同じように見えるかの確認。私はいつもこれが苦手です。

 店員さんがポツリと一言。

「過矯正です。」

 店員さんはあらかじめ私のメガネのレンズを見て度数を調べており、その数値との誤差の大きさで判断したそうです。つまり、これまでのレンズは度数が強すぎたとうこと。最近、スマホをいじる際に目が疲れることが多く、裸眼で触っていると「もう老眼ですか?」などと周囲から言われることもあり、最近少し困っていたのですが謎が解けました。
 レンズの度数は強くすればよく見えるかといえば決してそうではありません。度数が弱いとよく見えませんが、逆に強すぎてもよく見えないのです。他人のメガネを借りても、よく見えないのはそのためです。その塩梅を調べて自分の状態に最も適した度数を設定せねばなりません。
 店員さんのアドバイスで、これまでの近視の度数-4.75Dから2段階下の-4.25Dのレンズに変更。レンズの度数を下げたのに矯正視力は逆に上がり、2m用の視力検査で0.8はおろか1.2までしっかり見えたのは、ちょっとした感動モノでした。これまで、1.0が見えるのがやっとでしたから。ただ、矯正視力1.2ではパソコンなどのデスクワークで目が疲れるので、近視はもう1段階弱い-4.00D、乱視の方も1段階弱い-0.25Dでレンズを決定しました。 その後の経過は良好。悩んでいた頭痛の発生頻度も少し減るなど、副産物も出ています。

 視力測定はたまにはすべきなのでしょう。しかし、メガネ店の店員はベッタリ接客する人が多く売り込もうとする気配がミエミエで非常に苦手なので行きたくないと思っていました。ただ、今回のように相談の出来る店員に出会えることができれば、そのイメージを変えることができるのかもしれません。メガネ店へのイメージを改める良い機会となりました。

テーマ:メガネ・サングラス - ジャンル:ファッション・ブランド