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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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「東美濃ナンバー」を考える9
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 東美濃ナンバー問題の9回目です。
 今回はご当地ナンバーがもたらす問題や影響について、歴史から学んでいきたいと思います。
 
 ご当地ナンバー問題を語る上で欠かせない前例が、お隣・愛知県の「尾張小牧ナンバー」です。少し前ですが、今年1月5日に名古屋ローカルで放送された中京テレビの番組「PS純金」で非常に興味深い特集が放映されていました。題材は「尾張小牧ナンバー」と「春日井ナンバー」のご当地対決なんですが、この特集で随分鋭いコメントが続出していたので、この番組と尾張小牧ナンバーから見えてくる諸問題を取り上げてみます。
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 尾張小牧ナンバーは1979年に小牧市に陸運局が置かれ、尾張地区のナンバープレート名称を決める際に一宮市などが「尾張」を主張、小牧市が「小牧」を主張したことからこじれて大揉めに揉めて、最後は愛知県知事の仲裁で「尾張小牧」ナンバーが誕生したという経緯があります。
 全国初の4文字ナンバー、都市規模が遥かに小さい「小牧」が採用されてしまったことは、尾張地域に潜在的な不満を長年根付かせる結果となりました。ナンバープレートの新設でここまでこじれ、4文字の合成名称は後にも先にも尾張小牧だけです。また、「尾張小牧ナンバー」はダサいナンバープレートの代名詞にもなり、名古屋近郊でマイホームを建てたいと思っても、愛車のナンバープレートを尾張小牧ナンバーにするのが嫌で、岐阜県各務原市や多治見市・可児市、三重県桑名市など、わざわざ県外にマイホームを買ったという人、名古屋では結構あるある話なんです。
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 その報復ってわけじゃないのですが、小牧市は名古屋近郊でも鉄道網の発展から取り残され、クルマが無いと生活できない街となりました。現在でこそ、高速道路が開通し、名古屋都心までのアクセスも改善しましたが、名古屋の地下鉄とつながったのは十数年前の話。工場誘致に成功したので財政的には豊かな街ですが、名古屋近郊でかなり特異な街になってしまったのは事実です。
 ご当地ナンバー制度が誕生すると、尾張小牧ナンバーに最も反対していた一宮市が独立。これに続き小牧市に隣接する春日井市もご当地ナンバーを導入し、「尾張小牧」から独立したのです。
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 春日井市民へのインタビューで出た発言。本来なら笑い飛ばしていいレベルの発言なのですが、35年以上「尾張小牧」の屈辱に耐えてきた市民のコメントとしては正直な感想なんじゃないかな。

 尾張地方では観光でメシ食っている人はほとんどいませんから、県外からの対外的な印象操作に直接的な影響は与えてはいないと思われますが、工業中心で発展してきた街が多いことから、地域愛が非常に強くなりやすいわけで、地域をPRする重要なアプローチの一つであるナンバープレートが地元より規模の小さな街で更に見にくい4文字ナンバーでは不満も出てくるはずです。
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 このVTR放映後、尾張旭市出身の青木さやかさんが尾張小牧ナンバーについて「スゴく腹立たしい」と鋭いコメントしていました。これ、決して暴言じゃないと思います。小牧以外で暮らす多くの尾張地区住民が長年抱いている正直な気持ちだと思います。名古屋の隣なのに、同じ旧尾張国とはいえ、日常的な往来は全くない小牧の名前が付いたナンバープレートを付けねばならないのか。名古屋市外の郡部なのに名古屋ナンバーを付けられる地域もあるというのに。青木さんのコメントは正論です。私は支持しますよ。
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 この感情が特に青木さんの出身地である尾張旭市で芽生えやすい土壌があるのは、そのお隣の長久手市の存在があるからです。共に名古屋市に隣接し、名古屋都心へアクセスも非常に良い地の利から急速に発展してきましたが、ここ数年は発展のスピード格差がはっきりとしてきました。1990年代に発展が始まった尾張旭市と2005年の愛知万博後をきっかけに発展してきた長久手市と事情が異なりますが、ショッピングモールもなく純粋な住宅都市となり発展が鈍化した尾張旭に対し、街が新しく大型ショッピングモールが続々と誕生した長久手は、いまや東海地方では名古屋市内と並ぶ住みたい街ランキングの上位です。
 そして、決定的に異なるのがナンバープレート。実は同じ尾張郡部なのに尾張旭市は「尾張小牧ナンバー」。長久手市は「名古屋ナンバー」なんです。不動産会社の方から聞いた話ですが、「名古屋ナンバーでクルマが持てる」というのも長久手市が人気である要因の一つなのだそうです。

 尾張旭と長久手。旧東春日井郡と旧愛知郡と郡名は異なりますが、その境界線は小さな川や丘を一つ挟むだけです。しかし、ここまで変わってくる。ナンバープレートに起因する影響力の大きさは時代や世代を超えて継承されてしまうのです。
 住民の理解も得られぬまま導入計画が暴走している東美濃ナンバーは尾張小牧ナンバーの二の舞になる恐れが極めて高いと思います。だからこそ、東濃・可児の40万人は尾張小牧ナンバーが歩んできた歴史に学び、地域に愛され根付いていくご当地ナンバープレートの是非を住民を巻き込んで「みんなで考える」ことが必要なんです。
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「東美濃ナンバー」を考える8
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 東美濃ナンバーの特集第8回です。
 東濃地方では、こんな横断幕を見かけるようになりました。
 東美濃ナンバー実現協議会による東美濃ナンバー推進の横断幕やチラシなどの製作費に1,800万円もの予算がかかっているそうです。
しかも、この費用の大部分は各自治体からの税金だそうです。
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 多治見市金岡町、中央自動車道多治見インターチェンジ前にて。
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 歩道橋を上がり、横断幕の裏側を見てきました。
 ここまで厳重に結びつけられた横断幕、なかなか見ません。このエリアは山の中ですので、風も吹きません。よく、高速道路を走っているとこんな横断幕を見かけますが、高速道路の横断幕でも、こんなに厳重に縛り付けてはいません。
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 歩道橋の両サイドに横断幕を張り、更に歩道橋の下へロープを張り巡らせています。その本数、14~15本。
 もしも、ロープを2~3本切られても、自立を保てるようになっているみたいです。切り裂き魔やスプレー缶による落書き魔など、反対派からの妨害工作を恐れているのでしょうかね?
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 多治見市、国道248号線にて。非常に気になるのは国道248号や地元の主要道路には横断幕が目立つのですが、東濃地方の大動脈である国道19号線には、この横断幕が一切無いのです。
 地元市民にはトコトン押し売りを繰り返しておきながら、他県ドライバーが多く走る国道19号のドライバーに見せられない理由はいったいなぜでしょうか?国土交通省管轄の国道19号と県管轄の国道248号で扱いが異なる点もあるのでしょうが、ダサい東美濃ナンバーが恥ずかしくて他県ドライバーに見せられないなんてことだったりして。
 ちなみに、土岐市の環境センターに国道19号を名古屋方面に走行するドライバー向けに縦長の横断幕が掲げられたこともありましたが、この区間はカーブであることから幕を見ていると事故を引き起こしかねないことから冗談抜きに危険だと思っていたら、本当に撤去されていました。アホとしか言いようがありませんね。
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 2月上旬の某日、ココにも行ってみました。
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 東美濃ナンバー実現協議会が置かれている悪の枢軸多治見商工会議所。
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 内部の撮影は自粛しましたが、職員の机一つ一つに画像の様な東美濃ナンバーの小さな旗が置かれていました。ちなみに多治見市役所でも窓口の大半に置かれており、その様子は異様というか、ほとんどビョーキのような狂信的な空気が漂っていました。
(画像は土岐市図書館にて撮影)
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 1月上旬には岐阜県東濃地方向けのスーパーチラシにも東美濃ナンバーの広告が掲載されていました。さすが、社長自身が東美濃実現協議会会長であり、東美濃ナンバー推進筆頭企業のバローさんです。しかし、苦情でもあったのか、チラシには掲載されたのはこの一回のみでした。バローさん、どうしてなんでしょうかね?そんなに都合悪いのでしょうか?
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 多治見駅前、東濃信用金庫本店にて。今回の東美濃ナンバー推進運動で、協賛企業の動きの無さが非常に気になっていましたが、さすがにこれにはショックでした。

 東濃信用金庫が「東濃」の名を捨てて「東美濃」を推進している。

 腐っても地元で最大規模の金融機関です。自分の屋号である「東濃」の名前を守ろうとするプライド無かったのでしょうか?

 あまりに強引な物事の進め方、市民感情を一切無視した東美濃ナンバー推進論者の暴走行為。本当に気持ち悪い空気が支配しています。何とかならないのでしょうか?

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「東美濃ナンバー」を考える7
 「東美濃ナンバー」問題の特集、第7回です。
 今回は住民意向調査のあり方について考えます。

 今回の「東美濃ナンバー」導入について、東濃・可児の6市1町に在住する18歳以上の人10,000人を対象にアンケート方式による住民意向調査が行われました。その選考については「無作為」とされていますが、主催者が東美濃ナンバー導入を目指す「東美濃ナンバー実現協議会」である以上、そのアンケート結果が公正を確保することができているかは非常に怪しいところです。そこで、出てくる疑問が湧いてきます。

「どうして住民投票を行わないのか?」

 住民投票は地域住民のうち一定の資格を持つ人の投票により、立法、公職の罷免等の意志決定を行う手法として用いられるとされていますが、近年では市町村合併など特定の問題を議題として行われることも多く、なかには地方自治体自らが条例を制定して行なわれるケースもあります。東濃・可児では1997年(平成9年)御嵩町が産業廃棄物処分場計画の是非を住民投票で行ったケースと、2011年(平成23年)に中津川市で市長に対する解職請求(リコール)の賛否を問う住民投票が成立(→その後、投票日前に市長が辞任したため住民投票は中止)したケースがあります。

 住民投票にもデメリットが多数あります。その最たるものは「費用がかかる」こと。今回は7自治体で行うことから、下手すれば億単位の費用がかかる恐れがあります。また、その前提条件となる「住民投票条例」が無い自治体もあり、まずは条例の制定から始めねばならない点もあります。

 住民投票を行うためには順序があります。まず、有権者の50分の1以上の署名を集め、自治体の議会に陳情し、住民投票ができるようにするためのルールとなる「住民投票条例」の制定を議会で議決させる必要があります。署名自体は有権者の2%ですから、多治見市なら220名、土岐市なら120名あれば十分であり、東美濃ナンバー問題においては楽勝で集まったかと思います。
 ただ、問題なのは各自治体の議会の方で、その議員たちが住民投票によって自分たちの利権を侵されるのを嫌って反対に回ってしまうケースも多く、住民投票条例がなかなか実現していないのが現実です。
 東濃・可児では多治見市・中津川市・御嵩町で住民投票条例が誕生していますが、それがいまだに無い自治体もあり、瑞浪市では市議会が否決して頓挫しています。一方、成立できたとはいえ、多治見市では市長が提案して議会が否決(全国2例目の不名誉)、更に住民による直接請求でも議会が否決、三度目の請求でようやく成立という難産の賜物であったりします。
 したがって、住民投票は住民投票条例が無い自治体への対応に長い時間がかかることから、ご当地ナンバー申請に間に合わなくなるため見送られたと考えるべきでしょう。

 そうすると、もう一つ浮かんでくる疑問がこちら。

 では、2004年(平成16年)1月に行われた東濃西部3市1町(多治見・土岐・瑞浪・笠原)合併の時の住民投票は何だったのか?

 東濃ではこの投票を住民投票と混同しがちなのですが、あれは厳密にいうと住民投票ではなく「投票方式による住民意向調査」という非常にレアな方式であったわけです。当時の合併協議会が地元説明会の席で住民から「住民投票を行ってほしい」という意見が多数出たことから、実施に踏み切ったという経緯があります。
 その時は自治体側が「賛成多数で決まる」と過信しており、ダメ押しのつもりで事を進めようとしていたようですが、ふたを開けると多治見市で5割、土岐市と瑞浪市では6割以上有権者が反対票を投じて、合併そのものが破綻になってしまった(唯一、合併賛成多数だった笠原町は、後に多治見市と合併)という市民の審判を受けたわけです。一部の暴走が有権者の力で阻止できた貴重な事例となりました。

 地元の人なら、あのことを憶えているはずです。だから、東美濃ナンバー推進派も住民投票だけは阻止せねばならないと、スピードに任せて押し切りを図ろうとしていたのでしょう。
 しかし、地域の将来を考えると、「東美濃ナンバー」は大きな遺恨を残す恐れがあります。過去にも東濃の有権者は明確な反対を示すことができたわけです。使いもしない名称のナンバー付けて、一部の商売人による自己満足の犠牲になることで、将来の子や孫の世代から恨まれないようにバトンを渡すためにも、再度立ち上がる時が来ているのです。

【参考】東濃西部3市1町合併協議の破綻後について(2) 早川鉦三
愛知県立大学外国語学部紀要第38号(地域研究・国際学編)
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180206164721.pdf?id=ART0008078526

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「東美濃ナンバー」を考える6
 「東美濃ナンバー」問題の特集、第6回です。
 今回はナンバープレートの「由来」について考えます。

 多くのナンバープレートが県名や地域の主要都市、旧国名や地域名を由来としています。東美濃を含む、ご当地ナンバーにおいても次のルールは踏襲されます。

・行政区画や旧国名などの地理的名称であり、当該地域を表すのにふさわしい名称であること。また、当該地域名が全国的にも認知されていること。
・読みやすく、覚えやすいものであるとともに、既存の地域名と類似し混同を起こすようなものでないこと。

 しかし、このパターンに符合せず、一部の地域の名称を採用したナンバープレートも存在しています。その代表例として「なにわ」「筑豊」などがあげられます。
 「なにわ」ナンバーは、大阪市内のナンバープレートです。1983年(昭和58年)「大阪」ナンバーを大阪市内とそれ以外で分離する際、大阪市内がその昔難波京が置かれ、浪速商人の商都として栄えた歴史上の理由があることから、大阪市以外の地域との混同を避けるために大阪市内を古称である「なにわ」として分離したという経緯があります。
 「筑豊」ナンバーは、福岡県の内陸部で使われているナンバープレートです。1985年(昭和60年)に「福岡」「北九州」の両ナンバー地域から、それぞれ分割されて誕生している、非常に珍しい経緯を持ったナンバープレートです。かつては「筑豊炭田」と呼ばれ、炭鉱がたくさんあった地域です。この地域も元は筑後国と豊前国にまたがるエリアですが、炭鉱で地域が栄えた歴史から地域名はその頃の名称を採用しています。
 しかし、「なにわ」も「筑豊」も、共に地元では根付いた地域名称であることから、ナンバープレートの名称に採用されるにおいてもスムーズにいったわけです。

 では、今回の「東美濃ナンバー」は、この条件に該当するのでしょうか?

 「美濃」という、岐阜県の旧国名が唯一のキーワードとなっていますが、旧国名の一部分がナンバープレートに採用された前例はありません。しかも、「東美濃」は地元・岐阜県東濃地方でも恵那市・中津川市の一部を除き、地元住民も使わない表現です。ましてや、多治見市や土岐市など、東濃地区西部や可児市・御嵩町では、「東美濃」なんて名称は、今回のご当地ナンバー騒動で初めて聞いたという市民が圧倒的多数という惨状です。このような状況で「東美濃」をゴリ押したとしても、地域住民に浸透していない「造語」を無理矢理導入させようとするから、摩擦が起こるのだと思います。「地域の連携が深まる」と推進派は言っていますが、逆に不信と反対の連携だけが広がりつつあるように感じるのは私だけでしょうか?

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「東美濃ナンバー」を考える5
 「東美濃ナンバー」問題の特集、第5回です。
 今回は本題に戻って、ナンバープレートの与える影響について考えます。

 東美濃ナンバーの推進をしている人たちは「東濃では県外の知名度が低いので、知名度のある『美濃』を使い、東美濃で行くことにした」と主張しています。これは本当なのでしょうか?今回は、ナンバープレートの名称が、地域の観光や経済などに影響するのかを検証します。

 全国には名だたる観光地や著名な都市が各地にありますが、ナンバープレートの管轄と微妙な食い違いのある地域が意外と多いことがわかります。
 まず、ナンバープレート名称と現地のイメージが乖離している事例が結構あります。
 例えば、全国でも最も有名な温泉地の一つ、神奈川県の箱根。「箱根」というと天下の険と言われるぐらいですから、「山」のイメージですよね。しかし、

神奈川県・箱根のナンバープレートは「湘南」ナンバー。

山の中なのに、海辺のイメージの強い湘南ナンバーなんです。

 兵庫県の日本海側にある有名な温泉地「城崎」。関西の奥座敷としても有名ですが、この城崎を含め、兵庫県の日本海側である但馬地域のナンバープレートは、日本海側なのに瀬戸内海側の街である「姫路」ナンバー。

まったく、100㎞以上離れた明後日の方角にある都市のナンバーを付けて、日本海側で走っているのです。
 しかし、箱根や城崎がナンバープレートが原因で観光地としてのブランドに傷が付いているかといえば、

まったく関係無いのです。

 また、ナンバープレートの地名がマイナー過ぎてわからないという事例もあります。
 もっとも有名なのは、千葉県の「袖ヶ浦」ナンバー。
 まず、読めない方もいることでしょう。「そでがうら」と読みます。袖ヶ浦ってどこ?なんて思う方、非常に多いかと思います。房総半島の中ほどにあり、木更津や市原、館山などの地名が出るとわかるかと思います。しかし、著名な街よりも「袖ヶ浦」が優先されてしまっているのです。同じ千葉県の「野田」ナンバーもマイナーですね。千葉県の北の方にあります。しょう油メーカー「キッコーマン」発祥の地と言うと分かるかもしれません。
 しかし、地元の人に理解される地名が採用されているのなら、
特に問題は無いのです。


 この章のまとめに入ります。
 つまり、ナンバープレートで県外の人向けにアピールするという手法は、従前より観光地や名物や地域拠点となる都市などが発信している力には遠く及ばないのです。東濃地方では全国に有名である観光地・名物・拠点都市はごくわずかであり、同時にマイナーであることから、その発信能力も知れています。だから、ナンバープレートで目立つ前に、それぞれの魅力を磨き上げて鋭い光を発することが先なのです。地域振興の順序があべこべでは地域は振興どころか逆に衰退しかねません。

 また、ご当地ナンバーを付けてクルマを走らせるのは地元の人であるという視点を絶対に忘れてはなりません。

 「東美濃ナンバー」は県外の人向けに、地元に長年浸透している名称を敢えて殺してまで造語を採用する点で、ご当地ナンバーの本質を根本的に見誤っています。地元の人に理解されない・愛されないなら、ご当地ナンバーなんて必要無いのです。「東美濃ナンバー」の導入を決めれば、数年後には既成事実で黙っていても変わるなんて考えている推進論者の自己満足で終わるだけでは、東濃・可児に新たな遺恨を残すだけです。腐っても名士と付く人たちなのだから、地域で共存していくという視点に立ち、対話を行うべきだと思います。

 私は東濃・可児のご当地ナンバーは「東濃」で良いと考えているのですが、そのヒントとなるナンバープレートを取り上げたいと思います(続く)。

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東美濃ナンバーを考える4
 「東美濃ナンバー」問題の特集、第4回です。
 可児市と御嵩町は「東美濃ナンバー」のエリアに組み込まれてしまったのか?明治以来の可児郡帰属問題の続きです。

 東濃地方の行政上の中心として発展してきた御嵩ですが、急速な近代化の波の呑み込まれてしまいます。その最大の波は鉄道でした。
 日本の官設鉄道(国鉄)が東京と京都を結ぶ目的で、鉄道の敷設計画が浮上します。東海道ルート化中山道ルートかで検討が行われた末に、当時明治政府の建築師長だったお雇い外国人のリチャード・ボイルは1876年(明治9年)9月に提出した上申書で、東西連絡の幹線鉄道を中山道経由とすることを推奨します。東海道は全国でも最良と言ってよい交通事情であったのに対し、中山道は道路事情が悪く、ここに鉄道を建設すれば広大な内陸部を開発でき、また東西を結ぶだけでなく、支線を加えることで太平洋と日本海を結ぶこともできるためだったそうです。
 こうして誕生した中山道幹線と呼ばれる鉄道敷設計画が進められます。ちなみに東濃地方では岐阜から東に進んだ線路は、現在の美濃加茂市の西のはずれで木曽川を渡り、可児川河口(現在の可児市土田あたり)から可児川沿いに進み、山を越えて多治見市の虎渓山永保寺近くから土岐川沿いを進み、高山(現在の土岐市土岐津町)を経て、山を越えて大井(現在の恵那市)・中津(現在の中津川市)を結ぶコースを計画します。
 東西から工事の始まった中山道幹線ですが、当初から碓氷峠および木曽川・長良川・揖斐川など大河川は難工事で建設費がかさみ工期は長引き、開業後も列車の速度が遅く運転費用が増大することが判明します。そこで1886年(明治19年)に東京と京都を結ぶ幹線鉄道としては東海道本線の建設を行う方針に変更されてしまいます。
 幻となった中山道幹線ですが、名古屋から長野を結ぶ鉄道敷設計画は再浮上します。鉄道の誘致合戦が各地で行われた結果、最も工事が容易な現在のJR中央西線のルートで建設が始まります。当時は山賊も出てかなりの険しさであった愛知・岐阜県境の内津峠を避けるようにトンネルで山を貫き、1900年(明治33年)、名古屋駅~多治見駅間が開業。1902年(明治35年)には多治見駅~中津駅間が延伸開業。これにより、中山道に依存していた東濃地方の交通事情が一変すると共に、行政上の中心だった御嵩は鉄道から遠く離れ、中山道の衰退に伴い、その拠点性を失います。
 御嵩など可児郡地域も負けていません。地元有力者が資金を出し合い多治見から御嵩を結ぶ鉄道計画を進めます。1918年(大正7年)に新多治見~広見間を結ぶ東濃鉄道(現在の多治見市に本社のあるバス会社とは別会社)が開業。1920年(大正9年)には広見~御嵩間を延伸し、御嵩にも鉄道がやって来ます。しかし、官設鉄道である中央線と軽便鉄道である東濃鉄道の格差は歴然で、東濃の各地と直通できないことから、徐々に孤立し始めます。更に1926年(大正15年)新多治見~広見間が国有化され、国鉄太多線となり、多治見から御嵩への鉄道は細切れになってしまいます。
 実は現在の多治見市の土岐川から北の地域(現在の多治見市中心市街地)は、昭和の初めまでは可児郡でした。多治見への直通鉄道も分断されると、太多線沿いの区域は多治見への流動が顕著となり、同じ可児郡内でも生活圏が御嵩寄りの地域と多治見寄りの地域に分断され、御嵩を中心とした可児郡としての一体性が維持できなくなります。可児郡と土岐川を挟んだ向かいの土岐郡多治見町(現在の多治見市旧市街地)が美濃焼の集積地として急速に発展すると、可児郡南部の町村が動きます。昭和9年(1934年)に最南端の豊岡町(現在のJR多治見駅付近)が土岐郡多治見町に編入、1940年(昭和15年) 市制施行し、多治見市となります。昭和19年(1944年)隣接する小泉村・池田村も多治見市に編入します。この動きは戦後になっても続き、隣の姫治村でも多治見市への合併論議が浮上しますが、村内で多治見市合併派と可児郡存続派で分裂、大混乱の末に自治大臣と岐阜県の仲介により、1960年(昭和35年)姫治村を分村し、一部が多治見市へ合併します。現在も多治見市と可児市の境界線がJR太多線沿いで複雑になっているのはそのためです。
 次々と町村が離脱していった可児郡。次々と多治見・中津川に行政施設も造られ、御嵩の拠点性が失われました。同じ東濃でも中央線沿いの地域と隔絶されてしまった可児郡。そこに手を差し伸べてきたのは、木曽川の橋も架かり、交流が盛んとなった対岸である美濃加茂市と加茂郡でした。美濃加茂市は元は加茂郡で木曽川沿い。同じ中濃でも元武儀郡で長良川沿いの関市や美濃市と事情が異なることから孤立していました。すると、岐阜県行政も木曽川を挟んだ可児と加茂を広域で一体的に扱うようになります。こうして、現在の可児市と御嵩町は中濃地区の一部「可茂」として位置付けられるようになったのです。

 今回の東美濃ナンバーで可児市と御嵩町がエリアに組み込まれたのは、人口が多いかどうかとか、登録自動車台数基準突破目的のネタとか、東美濃ナンバー賛同企業筆頭であるバローの店舗網が充実しているからとかではなく、可児郡が「東濃」地方の一部であるという、明治初頭からの地域区分の復古活動の一環なのではないかと思うのです。

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「東美濃ナンバー」を考える3
 「東美濃ナンバー」問題の特集、第3回です。

 今回は東濃の5市(多治見・土岐・瑞浪・恵那・中津川)と共に無理矢理「東美濃ナンバー」のエリアに組み込まれてしまった可児市と御嵩町のお話です。 どうして、可児市と御嵩町は「東美濃ナンバー」のエリアに組み込まれてしまったのでしょうか?この謎に迫ります。

2.明治以来の可児郡帰属問題
 可児市と御嵩町は現在の岐阜県行政では関市・美濃加茂市などと同じカテゴリー「中濃地方」に組み込まれています。現在も電話帳「タウンページ」では岐阜市などと一緒に掲載(岐阜県美濃地方では東濃だけ別冊)、岐阜新聞の地域版は「中濃地域」です。しかし、可児市と御嵩町は木曽川を挟んで他の中濃地方(八百津町は除く)と分離していることから、中濃地方でも独自の歴史を歩んでいます。また、木曽川を挟んでいることから岐阜市方面へのつながりが中濃地方でも例外的に希薄であるのは、隣接する東濃地方と性質が似ています。また、東濃地方とのつながりも伝統的に深く、現在の可児市に最初に鉄道が開通したのは多治見からの鉄道(現在のJR太多線及び名鉄広見線の一部)でした。また、バスは多治見市にある東濃鉄道の管轄だったり、御嵩町には東濃高校・東濃実業高校という学校もあります。つまり、可児市と御嵩町は中濃地方の側面と、東濃地方の側面を併せ持つ、複雑な境界線上にあるのです。
 中濃と東濃の間で複雑に絡む可児市と御嵩町ですが、どうしてこんなことになってしまったのか、それはおよそ150年前の明治初頭に話はさかのぼります。

 1872年(明治4年)、明治新政府による廃藩置県により、岐阜県が誕生します。この当時の岐阜県は現在の美濃地方のみ。東西に長い県でした(飛騨地方は現在の長野県松本を中心とする筑摩県の一部に組み込まれた。飛騨地方が岐阜県に合併し、現在の岐阜県の形になったのは1876年(明治9年)である)。発足当時の岐阜県が悩んだのは東西に広い岐阜県を美濃でもかなり西の方にある岐阜から統治することの難しさ。 その最たるものは木曽川の先に広がる、現在の東濃地方と可児市・御嵩町の存在でした。当時は、まだ鉄道もありません。木曽川に橋を架ける技術もありません。一応、旧美濃国。五街道の一つ・中山道でつながっているのですが、それを分断する木曽川は江戸時代の馬子唄に『木曾のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい』と唄われるほどの交通の難所で、この難所を避けるように恵那で中山道から分岐する、現在の国道19号線に沿って善光寺街道(下街道)が整備され、岐阜よりも名古屋方面への往来が既にありました。
岐阜の街道
 そんな東濃・可児に岐阜県は自治行政を始めます。まず、岐阜県は東濃の行政上の中心をどこに置くかで悩みます。県庁のある岐阜に加え、西濃(大垣)・中濃(関)・飛騨(高山)と他の地域には拠点となる街があるのに、東濃・可児には拠点となるべき城下町も寺内町も門前町も無かったのです。現在の可児市は当時純農村。現在の多治見の大半のエリアや土岐の西半分は江戸時代、尾張藩領。岐阜の力が及ばない状況でした。大井(恵那)や中津(中津川)は遠すぎて、岐阜との日常的な往来ができない。そこで、岐阜まで中山道で直接往来が容易な場所で、そこを中継点として東濃各地へのアクセスが比較的良い、中山道の宿場町だった「御嵩」を東濃地方の行政上の中心にする選択をしました。そして、当時の可児郡・土岐郡を岐阜県第11大区という行政管轄カテゴリにまとめたのです。つまり、明治当初の岐阜県は、現在の可児市・御嵩町を東濃地方の一部とみなしていたのです。
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 東濃の拠点となった御嵩には、続々と行政施設が開設されます。
 1874年(明治9年)、御嵩に東濃(土岐郡・恵那郡)と可児(可児郡)を管轄する裁判所(裁判支庁)が設置されました。なんと、昭和戦前まで東濃・可児唯一の裁判所として君臨します。「裁判所が管轄の北西はずれにあって遠すぎる(怒)!」と多治見と中津川に裁判所を設置するように国会で提議されるようになるのは、なんと戦後の話。そして、多治見と中津川に開設されたのは1947年(昭和22年)だったのです。現在も岐阜地方裁判所御嵩支部として、可児・加茂地区の司法機関として機能しています。
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 その隣には岐阜地方検察庁御嵩支部。
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 さらに隣には、岐阜刑務所御嵩拘置支所があり、この一帯は御嵩が東濃の行政上の中心だった名残を現在も残しています。
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 1896年(明治29年)、岐阜県は県内4番目の高等教育機関として岐阜県尋常中学校東濃分校(現:岐阜県立東濃高校)を設立。その後、東濃尋常中学校・東濃中学校と改称され、約25年東濃・可児唯一の高等教育機関として君臨します。地元に限らず、遠路はるばる恵那から中山道を歩いて通った強者もいたそうです。ちなみに、恵那に旧制中学の岐阜県恵那中学校(現:岐阜県立恵那高校)が創立したのは1922年(大正11年)、多治見に多治見市立多治見中学校(現:岐阜県立多治見高校)が創立したのは、なんと1940年(昭和15年)まで待たねばなりませんでした。
 今となっては考えられませんが、驚くべき御嵩町の拠点性。岐阜県行政の力の入れようを感じます。しかし、岐阜県の目論見は愛知県との県境に風穴が開くことで、根底から覆えされてしまいます。
 話が長くなってしまいました。一旦、ここで切ります。次回は歴史の潮流の中で翻弄されていく可児郡の行方と東濃地方との関わりについて、お話しします(続く)。

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「東美濃ナンバー」を考える2
 「東美濃ナンバー」問題の第2回です。

 今回は「東美濃ナンバー」導入の根拠について考えます。

1.「岐阜ナンバー」枯渇の恐れ?
 自動車のナンバーの数字を自分の希望で決められる、いわゆる「希望ナンバー制度」が導入されて以降、「777」など人気の数字を中心に番号が先着順に充てられ、一度使用されたナンバーの番号は二度と使われないことから、ナンバープレートに充てる番号が無くなるという事態が各地で見られるようになりました。特に全国で最も登録台数の多い愛知県の「名古屋ナンバー」の3ナンバーに使われる数字「3●●」についてはアルファベットを導入するという情報も出ています。
 愛知県に比べてクルマの登録台数がおよそ1/3である岐阜県ですが、愛知県と絶望的に異なる状況として、岐阜県は公共交通の利便性が劣悪であることが挙げられます。そのため、愛知県では一家に一台、または運転免許はあっても自家用車は持たない人も名古屋市内では珍しくないのですが、岐阜県では「一家で1台」ではなく、「一家で2台」「一家で3台」。場合によっては「成人家族に1台」ということも珍しくない状況があります。岐阜で軽自動車がやたら多いのもそのためです。だから、私みたいに岐阜の山奥に暮らしながらクルマを持たず(家族が1台所有しています)に暮らしていると、まるで変人扱いされるほどです。したがって、クルマの新規登録台数も増加傾向にあり、将来的に岐阜ナンバーで番号枯渇の恐れがあるという情報もあります。
 岐阜県では既に飛騨地方を分割し「飛騨ナンバー」を創設しましたが、なんせ人口の少ない飛騨地方ですから、分割しても岐阜ナンバーの登録台数を抑制する効果は果たせないのが現状です。すると、次に切り離すべき地域は岐阜市から遠く、岐阜市との流動が少ない東濃地方という話になるのは自然な流れとも言えます。東濃地方を岐阜ナンバー区域から分割すれば、岐阜ナンバーの枯渇抑制が図られるという魂胆なのです。
自治体名登録台数
多治見市68,934
土岐市37,258
瑞浪市23,778
恵那市32,878
中津川市50,484
可児市63,509
御嵩町12,102
合計台数288,943

 ご当地ナンバー登録条件の一つに「地域内の登録自動車台数が10万台を超えていること」という要件あります。これを東濃地方及び可児地区で乗用車(普通乗用車・小型乗用車・軽乗用車)限定で見ますと、平成28年3月末時点での自治体別自動車登録台数は右図の様になります。この数字に加え、トラックなどの貨物自動車とバス・タクシーなど乗合自動車の数字が加わります。実は多治見・土岐・瑞浪の「東濃西部」3市の乗用車だけで、ご当地ナンバーの基準10万台を満たすことができるんです。一方、「東美濃」エリアの恵那市と中津川市の合計は83,000台余り。貨物・乗合を加えても辛うじて11万台に届く程度です。
 だから、東美濃ナンバーで恵那地方の商工関係者がグダグダ言うのなら、東濃西部3市が離脱してしまえば事は済んでしまうのですが、一応「東濃は一つ」という観念だけは共通認識として残っていることと、多治見の商工会議所会頭が恵那発祥の企業という変則的な事情もあって、結果的に人口も自動車台数も少ない恵那・中津川の言い分を人口も経済力も強いはずの多治見・土岐・瑞浪・可児が無条件で飲まざるを得ないという、不可思議な状況となっているのが「東美濃ナンバー」問題の複雑さであります。そして、岐阜県東濃地方が元来抱えている地域間での変則的なパワーバランスの弊害となっているのです。
 ちなみに飛騨ナンバー区域(高山市・飛騨市・下呂市・白川村)の乗用自動車だけの登録台数は約10万台ですので、東濃及び可児を岐阜ナンバー区域から切り離すことで、岐阜ナンバーの番号枯渇を従来より大幅に抑制することができるということも判ります。
 更に2017年(平成29年)5月30日に国土交通省は、追加のご当地ナンバー募集を始めるに際し、地域内の自動車登録台数をこれまでの10万台から「地域内に複数の自治体があり、登録数がおおむね5万台を超え、地域名の表示が一定の知名度を持つこと」に大幅な緩和を行いました。

 だったら、恵那市と中津川市だけで「東美濃ナンバー」でも何でも勝手にやったらどうですか?他の街を道連れに混乱とイメージ凋落に陥れることをする必要無いじゃないですか?

 では、どうして岐阜県の行政管轄では東濃地方ではなく中濃地方に分類されている可児市と御嵩町が今回の「東美濃ナンバー」騒動に巻き込まれてしまったのか、それは岐阜県発足の150年前にさかのぼる歴史的背景があったという話を次回お届けしましょう(続く)。

【参考】岐阜県の自動車保有台数 平成28年3月末現在 一般社団法人 岐阜県自動車会議所ホームページより(PDFファイル)

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