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名古屋・広隆堂ブログ
名古屋から発信する、少し偏った情報と管理人の徒然なる平凡な日記。乗り物・旅・名古屋の情報・時事ネタ・テレビ・ラジオを中心にあれこれ思うことを書き綴ります!がんばろう、日本!がんばろう、東北!そして、がんばろう、自分。
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
FC2ブログへようこそ!
1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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東濃鉄道、土岐市鶴里町・曽木町から撤退
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 岐阜県多治見市のJR多治見駅と土岐市の曽木中切を結ぶ東濃鉄道バスの笠原線。東濃鉄道でも有数の長距離バス路線でしたが、3月30日の運行を最後に多治見市笠原町の羽根から土岐市曽木町の曽木中切間が廃止となり、土岐市でも最南部の鶴里町と曽木町から東濃鉄道の路線バスが撤退しました。昭和2年に笠原から柿野(土岐市鶴里町)までバスが走り出してから90年。多治見方面からのバスが無くなってしまいました。
 土岐市の鶴里町と曽木町。土岐市の最南部にあり、愛知と岐阜の県境に位置するエリアですが、道路が四通八達に伸びていたことから、各地とバスでつながっていた歴史があります。昭和2年から笠原との間にバスが走り出し、続いて駄知(土岐市)からもバス路線が伸びます。戦後になると国鉄バスが進出し、瀬戸から鶴里・曽木を通って明智までの長距離路線国鉄バス中馬線が開通します。鶴里・曽木から瀬戸(名鉄瀬戸線乗り換え)経由で名古屋へ1時間ほどで行けるようになります。昭和30年代に入ると豊田から柿野まで国鉄バス路線が進出、更に東濃鉄道が土岐津駅(現在のJR土岐市駅)から鶴里経由の三箇下(愛知県旧藤岡町)や上仁木(愛知県旧小原村)行きと、瑞浪駅から曽木経由の小原行きを開業し、バス路線の全盛期となります。
 しかし、バスの全盛期は短く、国鉄バスの豊田からの路線が数年で廃止。土岐から小原村までのバス路線は三河山間部に暮らす人が冬場の出稼ぎに土岐市下石・妻木の陶磁器工場へ通うために開設していたそうですが、産業構造の変化により豊田方面に通勤先を変え、県境を越える人がいなくなり廃止。そして、昭和62年に国鉄バス中馬線が廃止。東濃鉄道のバス路線のみになります。
 昭和から平成に変わる頃、土岐市駅から妻木経由で柿野までのバスが1日1往復、土岐市駅から肥田・東駄知経由の曽木中切行きが1日3往復、多治見駅から笠原柿野経由の曽木中切行きが1日5~6往復ありました。平成3年頃、土岐市駅からのバスが土岐市駅から妻木・柿野・曽木経由の駄知行きという、1路線に統合されますが1日1往復では誰も利用せず、3年持たずに廃止。多治見からのバス路線のみとなり、同じ土岐市内でも公共交通で往来できない状況が10年ほど続きます。
 その後、土岐市がコミュニティバス「市民バス」の運行を開始し、市内での往来手段が復活。平成28年10月から、東濃鉄道が利用者減少と回送運用コストを理由に曽木中切発の朝の便と多治見発の夜の便が廃止され、土岐市の市民バスにその役を渡して通勤通学者の輸送を放棄。この時点でバス路線としての安楽死がスタート。ついに複数自治体を跨ぐバス路線に対する補助金の受給レベル(1便当たりの利用者数が5名)に到達できなくなったことから今回の廃止となったようです。
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曽木中切バス停(土岐市曽木町)
 曽木からは小学校に続き、バス路線も無くなってしまいました。同じ土岐市なのに、こんな地域もあります。
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柿野温泉前(土岐市鶴里町)
 右の車庫は国鉄バス時代のモノらしい。現在は柿野温泉の旅館が使用しています。
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 曽木町には逆さもみじで有名になった曽木公園や日帰り温泉のバーデンパークSOGI もあり、週末は近隣の観光客でにぎわうのですが、曽木中切バス停から日帰り温泉のバーデンパークSOGIまでは約2㎞離れており、バスでのアプローチが事実上不可能になっています。東濃鉄道のバス路線を伸ばせば、もう少し利用者が増えたはずですが、そこは国や県から補助金を受けているバス路線の性。路線延長となると赤字増額により補助額が増えてしまいますから、国や県が補助金増額に首を振ってくれるわけもなく、結局はバス路線も温泉もジリ貧になっていくわけです。
 東濃鉄道が撤退したのですから、土岐市の市民バスも鶴里・曽木のバス路線はバーデンパークを拠点に路線網とダイヤグラムを再編成すれば、少しはバスの利便性が上がるかと思います。土岐市の高齢者がディサービスの代わりに午前中は総合病院や土岐口の医者へ通い、午後からはバーデンパークへ通って温泉でくつろいで、夕方のバスで帰宅する。介護保険の世話になるより、楽しいライフスタイルが確立できる気がしますけど、土岐市民の皆さん、いかがでしょうか?
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 今回のバス廃止により、復活した「羽根行き」。しかし、東濃鉄道でも基幹路線だった笠原線も運転本数が減ってしまいました。かつては多治見駅から10分おきにバスが出ていましたが、いまや1時間に2本が精々。バス利用者が激減している現実が垣間見えます。なぜ、バス利用者が減っているのか。実はバス会社側に原因があるということ、そろそろ気づかないとダメだよね。
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テーマ:東海地域情報(愛知・岐阜・静岡・三重) - ジャンル:地域情報

土岐市駄知町買い物バス社会実験
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 お久しぶりの乗り物レポートです。
 今回は私が暮らす岐阜県土岐市の南東部、駄知(だち)町で2017年(平成29年)10月2日~12月29日に行われましたバスの社会実験の模様をお届けします。

 駄知町は土岐市の南東部に位置し、JR土岐市駅から約8㎞。バスに乗り25分ほどのところにあります。人口は約7,000人。美濃焼でもどんぶりの生産で有名で、分業制の美濃焼では窯焼きが多いことから美濃焼生産地のメッカでもあり、全盛期の昭和40年代には半径1㎞ほどの小さな街に13,000人もの人が暮らす、まるで炭鉱の街の様な賑わいだったそうです。
 しかし、この街には現在、重大な問題が発生していました。それは、
 街にスーパーが無い。
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 駄知町にはCGCに加盟する土岐市の地場スーパー「サンマート」系列である「トーエー」という店が駄知唯一のスーパーとしてあったのですが、2012年(平成24年)9月に閉店。人口7,000人の商圏にスーパーが1軒も無いという異常事態に突入しました。駄知には食品を扱う個人経営による商店も若干あるのですが、駄知町民のニーズに応えるだけのキャパが無い。最寄りのスーパーは山一つ越えた土岐市の浅野(バロー)や下石(オオマツフード)、又は瑞浪市(バロー・オークワ)まで5~6kmクルマを走らせねばならない状況が5年以上続いています。クルマを持ち運転のできる人は良いですが、クルマを運転できない高齢者も多く、買い物難民が発生していることが地域の問題になっていました。
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 スーパーが無くなった駄知ではコンビニが大繁盛。駄知唯一のコンビニだったローソンに続き、サークルKも進出。駄知町民の救済窓口となっていました。また、「トーエー」を運営していたサンマートも買い物難民となった駄知町の高齢者のために「買い物バス」を走らせ、8km離れた土岐津町の「サンマート」までマイクロバスで無料で送迎するサービスを行っていました。2017年夏に岐阜県でドミナント出店を展開中の福井県に本社のあるドラックストア「GENKY(ゲンキー)」が駄知町に進出し、幾分の改善が見られましたが、生鮮食品が手に入りにくい状況は依然変わっていません。
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 また、駄知町は道が狭く、東濃鉄道のバス車庫が街の中心にあるにもかかわらず、幹線道路しかバスが走れないことや、盆地で起伏が激しい地形であることから、駄知町内でもバス利用の恩恵を受けられない住民も多く、公共交通の整備を求める声が強い地域でもありました。
 今回の社会実験では、駄知町のバス路線の無い地域と隣接する高台の旭ヶ丘団地をメインターゲットとし、土岐市立総合病院と土岐津町の開業医の多いエリア、そして土岐口にあるスーパー「サンマート」までを結ぶルートで、駄知行きは1日5本、土岐口行は1日4本、月曜から金曜までデータイムのみの運行。運賃は駄知・土岐津町内は各々100円、駄知~土岐津間は200円で設定され、運行が行われました。
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 バス停ポール。土岐市民バスの使い回しの様でしたが。今回の運行は東濃鉄道ではなく系列の東鉄タクシーだったそうです。
 今回の社会実験最大の疑問は、このバスの経路です。なぜ、目的地がサンマートだったのか。土岐津町まで行かなくても、肥田町のバローや下石町のオオマツフードの方が近い上に駄知町から東濃鉄道のバスがあり、それぞれのスーパーすぐ近くにバス停留所があります。だから、延々バスを走らせるのではなく、駄知町各地から駄知または東駄知・北山辺りの東濃鉄道バス停へのアクセスを改善するだけで良いのです。
 また、この経路は旭ヶ丘から総合病院までの間は人口ゼロ地帯をひた走ります。また、経路の1㎞南には土岐市駅から下石経由で駄知まで東濃鉄道の路線バスが1時間1本程度走っており、平日昼間で利用者が極めて少ないとはいえ、同一会社グループ内で乗客の取り合いとなっており、運行期間中は東濃鉄道の減収もあったものと思われます。
 これまで、サンマートが買い物難民を救済していた社会的貢献もあるため、今回の目的地がサンマートだったのでしょうが、そうであれば、サンマートの近くまで既存の土岐=下石=駄知線の路線バスが往来しているのだから、一部をサンマートに寄り道させる(駐車場の構造上、大型のバスが乗り入れることは困難と思われるが)なり、近くに停留所を設けるなり(津路町~上田間は街中でも例外的に停留所間が長い区間)すれば、問題の大半は解消するように感じます。
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 まるで昭和40年代のままの駄知の商店街。駄知町、本当に渋い街並みです。
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 土岐口サンマート前。バス停は店舗から遠い、駐車場の端に置かれていました。
 買い物を目的とするのなら、歩くことに不自由さや困難を抱えている高齢者のことを第一に考えて、なるべく「歩かせない」これは基本中の基本です。いまや、バスがショッピングセンター駐車場の入口最寄りの最前列に停留所を確保するのはバス業界でも当たり前になりつつあり、理解を示す小売業者も増えているというのに、乗客載せてわざわざスーパーの目の前にバリアを作って平気でいる。これが東濃地方におけるバス、いや公共交通の現実です。
 ホントに地域公共交通会議で大学の先生やバス会社、行政や警察、地域の有力者を集めて議論した結果がこの程度なのか、その完成度の低さに呆れるのですが、いったい、どんな利用結果が出るのか。非常に楽しみな所です。

テーマ:岐阜県 - ジャンル:地域情報

瀬戸市・菱野団地住民バス社会実験
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 お久しぶりの乗りものレポートです。
 各地で公共交通、特にバスの社会実験が盛んに行われています。ここ数年で大きく変わったのは、住民が行政やバス事業者に陳情・委託して行ってきたものが、バス事業者も運転士の高齢化及び定年退職後の再雇用契約すら満了するようになり、人員確保が困難になってしまったことから望み薄となったことから、住民自身が実際にバスの運転士として携わり、住民が地元の公共交通を自ら確保し維持しようとする動きが始まっています。これは地元にバス会社・タクシー会社も無い過疎地域で行われていましたが、都市部でも導入する動きが見られます。
 今回は愛知県瀬戸市での社会実験を取り上げます。
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 愛知県瀬戸市にある菱野団地は愛知県が瀬戸市の南部に開発し、1969(昭和44)年より入居が始まった住宅団地です。菱野団地は原山台・萩山台・八幡台の3ブロックに分かれており、現在は人口14,000人ほどが暮らしています。街の設計は黒川紀章氏による独特な発想によるもので、菱野団地を構成する3ブロックを合わせると「クローバー」や「葵のご紋」のようなデザインで、団地の中心部に高層住宅や商店、外周部に低層住宅を配置しています。また、交通事故防止策として団地内の生活道路からから団地外へ出入りする外周道路への出入経路最小限に抑えられている上に、すべてT字交差点になっています。最近の住宅団地では当たり前の設備ですが、半世紀前の時点でクルマ社会を想定した設計であるのは特筆すべき点です。
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 菱野団地は名鉄尾張瀬戸駅・地下鉄藤ヶ丘駅、名鉄バスセンターからの直通と3本のバス路線があり、尾張瀬戸駅へは1時間2本、藤が丘へは1時間1本程度バスが運行されています。名古屋都心からのアクセスも良い環境ですが、路線バスは団地の中心・商店街のある団地の中心部寄りしか走らないことから、団地でも外周部に住んでいるとバス停まで随分歩かねばならない地域もあります。
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 近年顕著になっている団地にありがちな住民の高齢化現象は、ここでも例外なく見られます。高齢になりクルマの運転が難しくなると、団地中心部にある商店や通院などのために団地中心部のバス停へ行くなど、基本的な日常生活動作において支障が出てきます。菱野団地は幸運にも丘の上にあることから坂道が比較的少ないのですが、クルマから自転車に乗り換え、更に自転車も諦めた人にはクルマ社会を想定した街路設計の街では暮らしにくくなります。瀬戸市が調査した2010年のデータでは菱野団地の住民のうち、65歳以上の人が28.2%を占めていたそうです。郊外の住宅団地において、クルマを失うことは生活の軸を失うことに等しく、同時に生活圏ですら移動を困難にすることは住み慣れた団地を離れなければならない恐れもあるのです。近年、都心部への人口回帰が続いていますが、これは若い世代に限らず、郊外団地での生活継続が困難になった高齢者世帯が住環境の良い都心部へ戻っているケースが相当数あり、名古屋から20~30kmしか離れていない団地でも実際に起こっています。
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 「住み慣れた地域に引き続き暮らすためには、外出をするための支援が必要である。」この見地に立った「団地住民による、団地住民のための」新しいタイプの路線バスが各地で生まれています。東海地方でも、愛知県春日井市・高蔵寺ニュータウンの「サンマルシェ循環バス」や岐阜県多治見市「古虎渓よぶくるバス」など、郊外の住宅団地を発着点とする新しいタイプの路線バスが、既存の路線バスでカバーできなかった部分にメスを入れ、地域内で熱狂的なファンを増やしながら成長しています。
 今回の社会実験は、菱野団地の外周部から中心部にある商店や名鉄バスのバス停を結ぶことにより、団地内の移動を円滑に行うことを目標にし、これらの流れに追随したいのだと思われます。
 平成29年7月10日~12月26日までの月曜日から土曜日(祝日を除く)に2つのコースで1日5本運行されます。運賃は無料!
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  1台はトヨタのハイエース、もう1台は低速電動バス「e-COM」という群馬県桐生市のメーカーが群馬大学と共同開発したクルマで、10人乗りの電動バスを借りて運行しています。バッテリーに充電した電気で動くもので、1回のフル充電(8時間)で40㎞走り、晴れた日は天井にある560Wのソーラーパネルでバッテリーの半分を賄うのだそうです。私が乗りに行った日は前日からの雨が朝まで降っていたことから、ソーラー発電がほぼ絶望的な状態。バッテリーに不安があることから、悪天候時は充電するために40分程度の「休憩時間」を設けているとのことでした。なお、充電は家庭用の100Vコンセントでできるそうです。
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 電動バスの後部に「19㎞」という表示がありますが、これは公安委員会の制限でも何でもなく、e-COM8の最高スピードが時速19㎞しか出せないためだそうです。原付バイクの制限速度が時速30㎞ですから、自転車に毛が生えた程度の相当ゆっくりなペースで走るわけです。だから、走行中に後続車が列をなすことがあると、脇に避けて追い抜いてもらいながら進みます。団地の中心部にはバス停を設置していますが、団地の周回道路にはバス停は設置されておらず、手を上げればどこでも止まってくれるフリー乗降できるようになっています。
 電動バスが普通自動車運転免許があれば運転できることから、今回の社会実験では地元住民がボランティアで運転士を行います。運転手にも1回4時間勤務で500円の報酬があるとか。
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 乗った感想ですが、ハイエースは車両能力を持てあます状態。所々で時間調整していました。一方のeCOM-8はゴルフ場のキャディーカート並みのスピードで本当にゆっくり走ります。冷暖房一切ないので、非常に暑かったです。また、バス通りを一本外れると集合住宅エリアでは路上駐車が非常に多いのも菱野団地の特徴です。バス停の前にも路上駐車。いくら社会実験とはいえ、これはひどいですね。団地内での温度差を象徴する場面でした。ちなみに、この停留場は機能せず、バスの係員が道路の斜め向かいにある集会所に誘導してそこで乗降する惨状。
 今回、地元の方に話を伺いましたが、団地住民の間でも温度差が非常に大きいこと、団地全戸にチラシを配布したが試乗した住民から「チラシが欲しい」という利用者が多く、配布しながらろくに読まずに捨ててしまった住民が相当数いることなど、非常に厳しい話を聞かせて頂きました。乗車人数の記録もチラリと見ましたが、「正」の字が書けない様で、非常に厳しいみたいでした。
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 最終便は保育園の帰宅時間と重なり、子どもの利用が多いのが特徴でした。アトラクションの一環だとしたら面白いでしょうが、これが有償運行となった場合、仮に1乗車100円にしても利用する人が本当にいるのか非常に気になりました。1日5本、昼間のみの運行。午後2時過ぎには運行終了。利用する方がコツがいるようでは厳しい印象を持ちました。団地の外周部住民に活路を見出さねばなりませんが、外周部は戸建て住宅であるため、利用者確保にも限度があります。最近はコミュニティバスに協賛スポンサーを募る手法も良くありますが、菱野団地内に商店も少ないことから、これも難しそうですね。高蔵寺や古虎渓の様なバスに発展させるためには相当な改善とメスを入れないといけない気がしました。団地内も良いですが、団地の外にもスーパーなどがあることから、せめて菱野団地からも近い愛知環状鉄道の瀬戸口駅まで延長すると、少しは使えるかと思います。名鉄バスとも事実上競合してませんし。充電の問題があるかもしれませんが。

テーマ:名古屋・愛知 - ジャンル:地域情報

岐阜市・再び路線バス再編へ
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 岐阜バス・名鉄バス・市営バスの3社競合から岐阜バスへの統一、そして路面電車廃止。この10年ほどで劇的な変化を遂げた岐阜市内の公共交通ですが、2020年度を目標に行政主導で再編される計画であることが明らかになりました。
 その内容は、現在JR岐阜駅と各地の間を直通運転している40路線ある現在の路線網を、岐阜駅と郊外を結ぶ「幹線」と、郊外の住宅地を走る「支線」に分類し、「幹線」は各方面ごとに作られ、需要に応じて一定の頻度で運行される。幹線と支線の乗り換え拠点となる「トランジットセンター」を市内数ヶ所作り、トランジットセンターを発着する「支線」の運行本数は幹線より少なくなるものの、学校や病院に住民が通う時間帯は増やすなど、地域の実情に合わせたダイヤにする。ここには岐阜バスの路線のほか、各地域がタクシー会社などに委託して運行するコミュニティバスもトランジットセンターに乗り入れ、乗り換えの不便を軽減させるとのことです。
 岐阜市のバス路線再編は、バスの定時運行か直行性かをめぐり散々議論された結果、既存の直行性を選択した現実があります。路線番号を作ったり、ICカードを導入したりと、浜松の遠州鉄道のようになるのかと思っていましたが、現実は非常に厳しかったようで、利用者数は微増ながらも、半数の路線は赤字で岐阜市が毎年1億円近い補助を強いられるそうです。公共交通を以下に残していくかを考える場合、利用するのも大事ですが、同時にコストを抑えていくことでもあります。
 確かに、岐阜市内ならまだしも山間部の末端部まで大型バスで乗り込む必要性はないのであって、輸送効率からすれば小型バス、場合によってはワゴンでも良い地域だってあるはずです。ただ、乗り換えの手間などを考慮した再編成を構想しないと単なる末端部切り捨てで終わらない様、熟考を願いたいところです。
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 しかし、トランジットセンターを市内各地に造るのも大変ですね。また、田んぼの真ん中とかに造られては、バスに乗るためだけに移動を強いられるため、かえって不便になることもあります。「そこに人が集うこと」を重視した方が良いかも。別にハコモノを造らず、どこかのショッピングモール駐車場を借り切ってしまうのも一考かと思います。
 今回の構想、実は岐阜市は2008年9月に岐阜市北西部を走る岐阜バスの路線の一部を岐阜大学病院をトランジットセンターに見立てて実施していたのですが、わずか5年で岐阜大学病院より先のバス路線は廃止となり、現在はコミュニティバスが細々と走るだけという惨状となりました(元々、利用者が少なく、支線部分だけではどうしようもなかったようですが)。この黒歴史を打ち消して欲しいものです。

テーマ:東海地域情報(愛知・岐阜・静岡・三重) - ジャンル:地域情報

多治見市バス運賃上限200円制度の光と影
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 久しぶりに乗り物の話題を取り上げます。
 2015年10月1日より東濃鉄道が岐阜県多治見市内を運行するJR多治見駅発着の路線バスのうち、平日の10時から16時に出発または到着する便について、運賃の上限を200円とする『多治見市内路線バス昼間運賃割引制度』が始まりました。
 実は多治見市では2012年11月~2013年1月の3ヶ月間、市内の一部路線でほぼ同じ条件でバスの社会実験を行った結果、通常より利用者が12%増加したことが分かりました。また、もともと、多治見市では朝夕の通勤・通学客にバス利用が偏重しており、昼間のバス利用者数は全体の1/5にまで減少していたため、公共交通を維持させたい多治見市と安定した経営環境を維持したい東濃鉄道との思惑が本格実施に動いたものということです。(画像は中日新聞2015年8月25日朝刊岐阜県東濃版より)
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 自治体全域で200円均一運賃とし、損益は多治見市が補填する試みは全国的にも珍しく、名古屋のメディアで大きく取り上げられました。しかし、その内容は結構デタラメでした。報道では「多治見駅前~滝呂台経由~笠原車庫前まで480円だったのが200円と半額以下」という点がやたら強調されましたが、このバス路線は多治見市の外縁を大回りする路線で、この経路で全線利用する人は皆無です。地元の方は、多治見駅前から笠原車庫へ向かうなら、地元民は最短経路の大畑経由のバスに乗っています。この場合の運賃は300円であり、値下げ幅も33%にとどまります。
 そもそも、多治見市内でも多治見駅前又は駅北口から400円以上の区間は限定的であるため、多くの市民にとっては10~30%程度の値下げであるのです。

 しかし、この200円バス開始の裏で東濃鉄道は、
・多治見・土岐市・瑞浪各駅から1.5km以内の100円運賃制度の廃止。
・9.5km以上の500円上限運賃制度の廃止(→600円上限運賃に制度変更)。
・平均2.6%の運賃の値上げ。

といった実質値上げを断行していました。中日新聞によると「100円運賃や500円上限運賃は2002年より導入されたが効果は限定的で、近年は利用者数が毎年3~5%減少していた」とのことです。600円上限運賃制度で恩恵を受けられる利用形態は「瑞浪駅前~明智駅前」ぐらいでしょうか。消費増税を除くと20年値上げをしていなかったとはいえ、200円バス制度の導入によって、多治見市内の利用者がある程度増えない限りは200円バスによる損失の尻拭いを多治見市当局と、土岐市南部や瑞浪市南部及び恵那市明智町などJR中央線の駅までのアクセスを東濃鉄道のバスに依存しているバス利用者、更には名古屋へ向かう高速バスの利用者に負担を強いる構造になってしまったわけです。(画像は中日新聞2015年9月2日朝刊岐阜県版より)
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 2015年12月末に多治見市が速報値を発表しました。200円バスの利用者数は制度開始前の15%増となり、目標の12%増を超えたのだそうです。200円バスの全177便に対して利用者数が1,166人。5月の事前調査では1,017人だったので14%増。しかし、1便当たりの利用者数は6.58人。この数字は厳しいですね。
 多治見市は次に土日での200円バス導入を目指しており、2016年5月に再度利用者数の調査をするとのことです。どの程度数字が好転するかを見守っていきたいと思います。ある程度数字が好転すれば、より市民寄りのバス再編成に多治見市民の意志をつなげていき、更なる公共交通再生を図っていけるかと思います。多治見市では路線バスはJR多治見駅へ向かうだけの乗り物と化しており、既にシャッター通りと化した旧市街地にバス路線がある一方、大型店舗のある新市街地にはバス路線はあっても停留所が無く、バスは一日中通過するだけなどの蛮行が何十年も続いています。これは明らかに多治見市と東濃鉄道の怠慢でしかありません。近年、運賃100円のコミュニティバス「ききょうバス」が多治見駅を中心に新市街地まで行くようになりましたが、バス交通について多治見市が今後二重投資を強いられることから、いずれは統合する動きになるのかもしれませんね。(画像は中日新聞2015年12月25日朝刊岐阜県東濃版より)

テーマ:岐阜県 - ジャンル:地域情報

基幹バスレーン考
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 名古屋には珍しい乗り物がいくつもあります。その中でもとりわけ珍しい交通システムの一つが、基幹バス新出来町線(基幹2系統)です。道路の中央にバス専用レーン(車線)を設けて路面電車の様にバスが駆け抜けるもので、1985年の運行開始時には全国初の「バス中央走行方式」として注目されました。これまでに比べバスのスピードが飛躍的に向上し、建設費用も地下鉄の50分の1で済むという破格の安さもあって、BRT(バス高速輸送システム)と呼ばれる先駆的なバスの輸送システムの代表例として、まもなく30年を迎えようとしていますが、いまだに地域の重要な交通機関として根付いています。
 しかし、道路の中央にバスの専用レーンが存在し、バスの停留所がある交差点ではバスレーンが左右に大きく動く、特殊な道路事情は慣れないドライバーにとっては脅威であり、基幹バスの走る出来町通は名古屋の幹線道路でも特に走行において慎重な運転が求められる道路の一つでもあります。
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 4月5日、その出来町通で名古屋市交通局浄心営業所のバス(市バス)運転士が誤って対向車線のバスレーンを約70m逆走する事故が発生しました(画像は2014年4月13日中日新聞朝刊)。バス車内には約20名の乗客がおり、対向車と正面衝突すれば大惨事になる恐れもあったわけです。ちなみに、2011年6月にも市バスが25名の乗客を乗せたまま200m逆送する事故を起こしています。
 バスが対向車線に進入して逆送する原因は、バスレーンが停留所のある交差点で左右に動くのが最大の要因とみられます。バスレーンは一般車両も通行可能(朝夕の一部時間帯を除く)であるため、慣れないドライバーによる正面衝突などの交通事故は1985年の運行開始から続出しました。しかし、基幹バスが地域やドライバーに根付き、1995年度より方向別にバスレーンの塗装色を変更するなどの安全対策を行うようになってからは事故の発生件数も徐々に減ってきました。

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 基幹バスレーンの特徴を図解で説明するとこんな感じです(画像は千種区の萱場バス停)。
 進行方向(手前から奥)に進むためには茶色の車線を進む必要がありますが、交差点手前から大きく曲がる車線を無視して直進すると、オレンジ色の対向車線にいるダンプカーに正面衝突してしまうのです。そのため、事故防止のため交差点内にも、バスレーンのカラー舗装を行う必要があるのです。
 もともと、出来町通が県道であったことから、県道と市道については交差点内にもカラー舗装を施していました。

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 しかし、今回の逆送事故が発生した赤塚交差点は出来町通と交差する道路が国土交通省管轄の国道19号線であるため、交差点内のカラー舗装が行われておらず、これに慣れない市バス運転士が錯覚し、
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 本来、オレンジの車線を走行すべきところを対向車線である茶色の車線に飛び込んでしまったというのが顛末であるようです(画像の名鉄バスは正規走行を行っています)。
 これを中日新聞は行政管轄の違いから起きたモノとして追及を始めているのですが、根本的には市バス運転士のスキルが低い。これに尽きるかと思います。もちろん、プロ意識の高い運転士さんも多いはずです。ところが、市バス。特に浄心営業所は三重交通の委託になってから停留所の位置を間違えたり運転が荒いなど、プロドライバーとしてのスキルが低い印象を持っています。一方、委託であることから市当局からの締め付けも厳しい様で、運転士が「バスが完全停止するまで席を立たないで」と執拗にアナウンスするなど所々の行動から垣間見られます。
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 また、記事にあった有識者(名古屋大学大学院准教授)様のコメント。
『並行する車線に柵や段差を設けたり、一般車線の右折車線を高架にする一般車の通行を完全に禁止したり、右折禁止の交差点を増やすなどの方法もある。』
 う~ん、既に30年近い歴史があるのですから、段差や柵程度なら既にあってしかるべきなのに、これができなかった背景に何があったのかは非常に気になるところです。
 朝夕に実施しているバスレーン一般車両通行禁止を終日行う社会実験、一度やってみる価値ありそうですね。一方、右折禁止交差点の増設については、高架道路建設スペースも乏しい地域であることや、沿線住民の反発をどう克服するかが課題でしょうね。また、出来町通の周囲に都心から郊外部へ直通する幹線道路が乏しいことから、出来町通以外の道に一般車を迂回させることが難しい地域道路網の致命的弱点を克服することは並大抵なことじゃないと思います。

 そもそも、出来町通は市街地化の進んだエリアの既設道路に中央走行方式のバスレーンを強引にはめ込んでしまったわけですから、埋め立て地やニュータウンのように、まったく白紙のところから作り上げた都市計画ほど完成度は高くないから諸問題が発生するのも当然なわけで、これをいかに改善するかが基幹バスレーンの評価につながるのではないかと思います。それこそ、バスレーン設置後の約30年で手を加えたのが、赤塚白壁バス停増設と東海病院前~千代田橋南間の東行き道路拡張程度で済んでいることを「奇跡」と評するべきか、行政の「怠慢」と評価すべきか。そこに見解の相違が出てくるかと思います。
 ただ、30年で沿線の様子も随分変わりました。そろそろ、何らかの改善を加える必要があるかと思います。とりあえず、地下鉄茶屋ヶ坂駅への乗り換えの不便さだけでも何とかならないかと思うところです。

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北恵那交通の方向転換
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 岐阜県中津川市に本社を構える交通事業者「北恵那交通」が、2013年3月末で貸切バス事業と旅行業から撤退し、路線バス・不動産賃貸・キャンプ場経営を主軸にした事業へ方針転換し、経営の立て直しを図ることを決めたことが明らかになりました(画像は2013年3月26日中日新聞朝刊岐阜県版より)。
 報道によると、貸切観光バス事業は1954年、旅行業は1973年より開始したものの、貸切バス事業は5年連続の赤字。旅行業に至ってはバブル崩壊以降赤字続きだったそうで、2012年3月期決算でも貸切観光バス事業は3,500万円の赤字、旅行業は2,300万円の赤字だったそうで、旅行業の累積赤字が深刻な状況だったようです。旅行業の営業拠点は中津川市と、なぜかバス路線の無い土岐市にありました。
 撤退する部門は同じ名鉄グループで多治見市に本社を置く東濃鉄道と東鉄観光に引き継がれ、貸切バス15台は東濃鉄道に売却。北恵那交通の社員76人中18人は退職し、東濃鉄道・東鉄観光に再雇用。20人は退職し、北恵那交通が再就職を支援。2人は北恵那交通車内で配置転換と、社員の半数が会社を去る非常事態となったようです。
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 もともと、中津川市内は1990年代の最盛期で4つのバス会社が群雄割拠する、東海地方でも非常に珍しい街で、北恵那交通は付知川沿いの地域と中津川市街地の一部のみという、鰻の寝床の様な窮屈なエリアでバス事業を行っていました。
ところが、1990年代にJR東海バスが撤退し北恵那交通に譲渡すると、今度は濃飛バスが中津川営業所管内の路線を北恵那交通に移管し、北恵那交通は中津川市で東濃鉄道管轄エリアの坂本地区を除く、ほぼ全域を営業エリアとする事業者となりました(画像は2013年3月26日岐阜新聞朝刊経済面より)。

 当時の状況を弊ブログでも取り上げておりました。
【参考】弊ブログ・濃飛バス中津川管内・北恵那交通へ移管(2008年10月21日)
http://kouryudo.blog61.fc2.com/blog-entry-257.html

 しかし、中津川市全域でも人口は8万人。クルマ社会で過疎地域も多く、バス事業を展開するのも大変だったかと思います。
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 実は北恵那交通は今年2月にもタクシー事業を多治見市に本社がある東鉄タクシーに事業譲渡しており、タクシー15台と従業員19人中15人が東鉄タクシーに移籍しています。タクシー事業は1966年から始め、2012年3月期決算では250万円の赤字で、3年連続の赤字だったようです(画像は2013年1月30日岐阜新聞朝刊より)。

どうも、北恵那交通は従前よりグループ全体で経営が相当苦しかったようですね。他社からのバス路線の譲渡を受け、限られたエリア内であれど営業を強化したかと思われましたが、逆に悪化していたのでしょうか。
 そして、北恵那交通といえば、2011年秋にバス事故を起こしており、全国ニュースでも取り上げられてしまったことから、企業・町内会・公立学校など、貸切観光バスのお得意様の利用が激減してしまったのかもしれませんね。当時の模様も弊ブログでも取り上げております。

【参考】弊ブログ・観光バス転落事故から見えること(2011年10月10日)
http://kouryudo.blog61.fc2.com/blog-entry-989.html

 路線バスでは、昨年秋に岡山県の井笠鉄道が突然の路線バス事業廃業宣言を行い、岡山県西部から広島県福山市にかけての広いエリアでバス利用者が不安にさらされた出来事がありました。既に補助金が無いとバス事業ができないバス事業者もあるそうです。
 しかし、路線バスは公共性の高い、地域のインフラです。行政からの補助金に頼るのもいいですが、それでは企業としての事業展開に精一杯で、利用者へのサービスがおざなりになり、バス会社とバス利用者との意識乖離が修復できないまま、最後は共倒れになってしまいます。どうすれば、バス路線もバス会社も運転士の雇用も残せるのか。みんなで意見を出し合うことが大切に感じます。

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2012紅葉Ⅱ・小原四季桜まつり1(豊田市)
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 2012年11月24日、豊田方面へ紅葉見物に出かけました。9:30、我が街・昭和区御器所から地下鉄に乗り込み豊田へ向かいます。実はこの時点まで、目的地を足助の香嵐渓にするか小原の四季桜にするか悩んでいました。
 しかし、豊田市の公共交通サイト「みちナビとよた」によれば、豊田市の名鉄浄水駅を7:27を出発した足助行きバスが、渋滞にハマり2時間以上の遅れ。まだ足助市街地に到着していないことが判明。朝6時に足助で国道153号の渋滞が始まっていたのは把握していましたが、豊田市街~足助で所要時間3時間以上。しかも、立席乗車ではちょっとした拷問です。これでは厳しいので行き先を小原に決定。
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 名鉄梅坪駅で電車を降り、10:49発の上仁木行き「おいでんバス」に乗り込みます。こちらも立席が出る盛況ぶり。ただ、藤岡町でイスが空きホッと一息。地形や水系を完全に無視した国道419号線は隣の集落へ行くにもすべて山越え。小さな山をいくつも越えて「四季桜まつり」メイン会場の小原支所前を通過し、和紙のふるさとバス停に12:00頃到着。
 わざと乗り過ごした理由は、こちらのボンネットバスに乗車するためです。岐阜県のバス会社東濃鉄道が所有するもので、普段は土岐市駄知町の土岐営業所にいるのですが、イベント等があるとこうして出張してくれます。今回のイベントでは3ヶ所ある四季桜まつり会場を無料で巡回してくれるのですが、このバスに乗るためには先に「和紙のふるさと」へ寄ってボンネットバスの乗車券を確保せねばならないためです。
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 小原といえば「和紙」が有名です。その小原和紙工芸を伝えるための参加体験型施設が「和紙のふるさと」で、紙漉きの体験実習ができる「和紙工芸館」、小原和紙工芸や全国の和紙資料を紹介する「和紙展示館」、和紙製品などを販売する「休憩所」、和紙原料植物を栽培する「見本園」、小原の自然を満喫できる「遊歩道」で構成されています。
 小原に紙漉きが伝来したのは室町時代。隣接する旭地域に紙漉きが伝えられ、それが伝播したそうです。小原では楮の容易に手に入ることから、農閑期の副業として紙漉きが広まり、江戸時代中頃には各地で紙漉きが営まれていたようです。明治9(1876)年には27軒が紙漉きを営んでいた記録も残っています。「三河森下紙」という番傘用紙のブランドもあり、他にも障子紙、神社のお札紙なども漉かれていたそうです。
 しかし、昭和になると洋紙やビニールなどの登場で和紙の需要は激減し、小原でも紙漉きを廃業する農家が続出しました。昭和7(1932)年初夏、工芸家藤井達吉が小原を訪ねた際に紙漉き農家の襖に野草を漉き込んだ和紙が使われていたのを見つけ、衰退する手漉き和紙の先行きを懸念した藤井は付加価値の高い和紙を作るように勧め、美術工芸作品への転換を提案。太平洋戦争末期の昭和20(1945)年に藤井は小原に疎開(その後、5年間在住)し、本格的な指導を開始。戦後は美術工芸としての道を歩み、現在に至ります。
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 和紙のふるさとで紅葉と共に花を咲かせる四季桜。しかし、なぜ紅葉シーズンなのに「桜」なのか?そもそも、「四季桜」とは何か?そこから本題に入っていきましょう。
 普通、桜は春に年1回花を咲かせますが、四季桜は夏を除き少しずつ花を咲かせる桜で、特に4月と10月から12月にかけての年2回、花を咲かせるそうです。だから、ソメイヨシノでは「ちらほら」なレベルでも、四季桜はこれで「見頃」になるわけですね。小原の四季桜の他には神奈川県鎌倉の瑞泉寺「冬桜」、三重県鈴鹿の「不断桜」、滋賀県湖東三山・西明寺の「不断桜」、静岡県三ケ日の「十月桜」が知られます。
 小原の四季桜の歴史は、江戸時代末期の医師・藤本原碩が名古屋方面から苗を求めて植えたのが始まり。その後、旧小原村が四季桜を村の木として制定し、村内各地で四季桜の苗を植える活動が行われるようになり、現在では小原地区の各地で見られるようになったそうです。
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 和紙のふるさとは全般的に若い木が多く、紅葉がきれいなところは部分的。
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 でも、紅葉と四季桜のコントラストが綺麗でした。しかし、これ以上にきれいなスポットに今後出会います(続く)。

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