 岐阜県多治見市のJR多治見駅と土岐市の曽木中切を結ぶ東濃鉄道バスの笠原線。東濃鉄道でも有数の長距離バス路線でしたが、3月30日の運行を最後に多治見市笠原町の羽根から土岐市曽木町の曽木中切間が廃止となり、土岐市でも最南部の鶴里町と曽木町から東濃鉄道の路線バスが撤退しました。昭和2年に笠原から柿野(土岐市鶴里町)までバスが走り出してから90年。多治見方面からのバスが無くなってしまいました。 土岐市の鶴里町と曽木町。土岐市の最南部にあり、愛知と岐阜の県境に位置するエリアですが、道路が四通八達に伸びていたことから、各地とバスでつながっていた歴史があります。昭和2年から笠原との間にバスが走り出し、続いて駄知(土岐市)からもバス路線が伸びます。戦後になると国鉄バスが進出し、瀬戸から鶴里・曽木を通って明智までの長距離路線国鉄バス中馬線が開通します。鶴里・曽木から瀬戸(名鉄瀬戸線乗り換え)経由で名古屋へ1時間ほどで行けるようになります。昭和30年代に入ると豊田から柿野まで国鉄バス路線が進出、更に東濃鉄道が土岐津駅(現在のJR土岐市駅)から鶴里経由の三箇下(愛知県旧藤岡町)や上仁木(愛知県旧小原村)行きと、瑞浪駅から曽木経由の小原行きを開業し、バス路線の全盛期となります。 しかし、バスの全盛期は短く、国鉄バスの豊田からの路線が数年で廃止。土岐から小原村までのバス路線は三河山間部に暮らす人が冬場の出稼ぎに土岐市下石・妻木の陶磁器工場へ通うために開設していたそうですが、産業構造の変化により豊田方面に通勤先を変え、県境を越える人がいなくなり廃止。そして、昭和62年に国鉄バス中馬線が廃止。東濃鉄道のバス路線のみになります。 昭和から平成に変わる頃、土岐市駅から妻木経由で柿野までのバスが1日1往復、土岐市駅から肥田・東駄知経由の曽木中切行きが1日3往復、多治見駅から笠原柿野経由の曽木中切行きが1日5~6往復ありました。平成3年頃、土岐市駅からのバスが土岐市駅から妻木・柿野・曽木経由の駄知行きという、1路線に統合されますが1日1往復では誰も利用せず、3年持たずに廃止。多治見からのバス路線のみとなり、同じ土岐市内でも公共交通で往来できない状況が10年ほど続きます。 その後、土岐市がコミュニティバス「市民バス」の運行を開始し、市内での往来手段が復活。平成28年10月から、東濃鉄道が利用者減少と回送運用コストを理由に曽木中切発の朝の便と多治見発の夜の便が廃止され、土岐市の市民バスにその役を渡して通勤通学者の輸送を放棄。この時点でバス路線としての安楽死がスタート。ついに複数自治体を跨ぐバス路線に対する補助金の受給レベル(1便当たりの利用者数が5名)に到達できなくなったことから今回の廃止となったようです。
 曽木中切バス停(土岐市曽木町) 曽木からは小学校に続き、バス路線も無くなってしまいました。同じ土岐市なのに、こんな地域もあります。
 柿野温泉前(土岐市鶴里町) 右の車庫は国鉄バス時代のモノらしい。現在は柿野温泉の旅館が使用しています。

 曽木町には逆さもみじで有名になった曽木公園や日帰り温泉のバーデンパークSOGI もあり、週末は近隣の観光客でにぎわうのですが、曽木中切バス停から日帰り温泉のバーデンパークSOGIまでは約2㎞離れており、バスでのアプローチが事実上不可能になっています。東濃鉄道のバス路線を伸ばせば、もう少し利用者が増えたはずですが、そこは国や県から補助金を受けているバス路線の性。路線延長となると赤字増額により補助額が増えてしまいますから、国や県が補助金増額に首を振ってくれるわけもなく、結局はバス路線も温泉もジリ貧になっていくわけです。 東濃鉄道が撤退したのですから、土岐市の市民バスも鶴里・曽木のバス路線はバーデンパークを拠点に路線網とダイヤグラムを再編成すれば、少しはバスの利便性が上がるかと思います。土岐市の高齢者がディサービスの代わりに午前中は総合病院や土岐口の医者へ通い、午後からはバーデンパークへ通って温泉でくつろいで、夕方のバスで帰宅する。介護保険の世話になるより、楽しいライフスタイルが確立できる気がしますけど、土岐市民の皆さん、いかがでしょうか?
 今回のバス廃止により、復活した「羽根行き」。しかし、東濃鉄道でも基幹路線だった笠原線も運転本数が減ってしまいました。かつては多治見駅から10分おきにバスが出ていましたが、いまや1時間に2本が精々。バス利用者が激減している現実が垣間見えます。なぜ、バス利用者が減っているのか。実はバス会社側に原因があるということ、そろそろ気づかないとダメだよね。
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