名古屋・広隆堂ブログ
名古屋から発信する、少し偏った情報と管理人の徒然なる平凡な日記。乗り物・旅・名古屋の情報・時事ネタ・テレビ・ラジオを中心にあれこれ思うことを書き綴ります!がんばろう、日本!がんばろう、東北!そして、がんばろう、自分。
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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広瀬さん、広瀬神社の砂かけ祭りへ行く
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 ここ数年、興味を持ちつつあるのが全国に点在する私の姓と同じ「広瀬」の地名。文献で調べてみると、北は青森県から南は鹿児島県まで全国に80ヶ所ほどあるそうです。元々川沿いに多い地名なので、全国に分布しているそうです。数年前の平成の市町村合併までは、新潟県に入広瀬村、島根県に広瀬町という自治体もありました。
 また、広瀬の地に立つ神社、「広瀬神社」というのも全国に5ヶ所ほどあるそうです。その中の一つ、奈良県河合町の「広瀬神社」は奈良盆地の底にある神社で、毎年2月11日に行われている伝統の「砂かけ祭り」は、その内容の強烈さから「大和の奇祭」という異名を持つ、地元では超有名な祭りだそうです。
 広瀬さん、これには居ても立ってもいられず、奈良へ潜入してきました!!
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 大阪・天王寺からJR大和路線快速で約30分。法隆寺駅で下車。ここまで来たなら、法隆寺も見に行きたいですが、今日は絶対に広瀬神社。ところが、広瀬神社まで2㎞強。バスの便は一切無し。駅に客待ちタクシーも1台も無し。午後2時のお祭り開始まであと30分。これが奈良の大仏商法か?って半ギレ状態で駅前の交番に飛び込むと、広瀬神社への道を訪ねる先客の姿が。しかし、警官が示した道のりの遠さに老夫婦は諦めて法隆寺へ歩き出す始末。しかし、岐阜の山奥から乗り込んだ私にとっては、天下の法隆寺より絶対に広瀬神社。今日は年に一度のお祭りですからね。是が非でも行きますよ。法隆寺は逃げません!!とにかく必死で歩きました。途中で道を間違えるも、午後2時10分現地到着。
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 この砂かけ祭り、元々は五穀豊穣を願う御田植祭なのだそうです。
 まず、牛の被り物をした氏子が「モー」と鳴きながら、牛飼い役の氏子を連れて境内を歩き回ります。ここまでは実に素朴な祭りです。しかし、この後、祭りの様相が一転します。
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 氏子が被り物を外し鍬を手にすると、祭りは突然始まります。鍬に山盛りの砂をすくうと…。
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 なんと、観客へ砂をぶち撒くのです。それも容赦なく、ガンガンに。境内が大騒ぎです。これが約5分間続きます。
 5分ほど続くと笛が鳴り、砂かけは終了。砂かけの氏子は観客の拍手と共に引き揚げる。これを10回繰り返します。
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 最初は砂を被りたくないので逃げ回るのですが、何度が繰り返してくると、観客もエキサイトしてきて砂をかけ返すようになり、まさに祭りの盛り上がりは最高潮となります。
 1時間程のカオスが終了すると、巫女さんが稲を見たてた松苗を境内に植え、それを観客が取り合います。松苗は最前列に陣取る子どもたちによって、ほぼすべて取られてしまうのですが、ある子のお爺さんが「一人占めはアカン」と近くの人達に分けて下さいました。そして、「田」という字の入った餅「田餅」の餅投げがあり、祭りは4時過ぎに終了しました。
 まぁ、砂は被りまくり。カメラは守るのに必死と大変でしたが、非常に楽しいお祭りでした。奈良まで見に行って良かった。 
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テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

「明るい廃墟」ピエリ守山探訪2
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 昨年11月に訪問しました、滋賀県守山市にあるすごいショッピングモール「ピエリ守山」特集の第2弾です。
↓先回の内容はこちら↓
http://kouryudo.blog61.fc2.com/blog-entry-1260.html
 2008年9月の開業当時には約200のテナントが入店していた滋賀県最大級のショッピングモールが、なぜ「明るい廃墟」とよばれる様になったのか、そもそも「明るい廃墟」とは一体どんなものなのか。恐る恐るその現場をのぞいてみます。
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 約5分おきに「館内での写真撮影はご遠慮ください」というアナウンスがエンドレスで流れていました。一部ネット上では「ピエリ守山が撮影禁止になった」と騒ぐ動きもありましたが、ピエリ守山を含めショッピングモールの圧倒的多数は館内撮影禁止だったりします。
 その理由は多くの場合、
・商売上の秘密(価格・売場構成など)漏えいを防ぐため
・商品の登録商標やデザインなど、版権や著作権などの権利を守るため
・館内の買い物客の個人情報を守るため
だったりします。しかし、裏を返せば、
・テナントが数店舗が営業していない
・大半のテナントは閉鎖されているので、権利関係の問題が無い
・買い物客を撮影しない
以上の条件がクリアできれば問題無いわけです。ピエリ守山はこの条件をすべて満たしています。 
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 さっそく中へ突入します。
 誰もいない館内。そして、ロープや石膏ボードで封鎖されたテナントブースの続くショッピングモールの姿。この画像は開店時間前じゃありません。日曜日の午後3時過ぎですよ。静かなBGMが妙に落ち着く、恐ろしく静寂なショッピングモール。隅々まで清掃が行き届いており、快適な館内。しかし、どこまで行っても営業店舗も買い物客もいない。その恐ろしさこそ、「明るい廃墟」の由縁だったのです。
 誰もいないチェアーに腰掛け、この異様な空間をしばし堪能しましたが、徐々に襲ってくるピエリ守山の魔物に席を立たざるを得ませんでした。
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 5分ほどモール内を歩きましたが、営業している店舗は一軒も無し。カネを落とすことのできないショッピングモール。さらに、擦れ違う人もいませんでした。まさか、ショッピングモールでこれほどまでの孤独感を味わうこととなるとは。恐るべし、ピエリ守山。
 館内を更に歩きます。
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 「びわ湖カルチャーセンター」。ここから文化を発信することはできなかったようです。
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 フードコート。ここにリンガーハットが2013年秋まで営業しており、ピエリ守山で唯一のカネを落とすことのできたテナントだったそうです。私がピエリ守山というショッピングモールを知ったのも、このリンガーハットの閉店を知ってからです。もっと早く知っていれば、心に染みいるちゃんぽんを味わえたことでしょう。
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 2階へ上がります。しかし、そこに広がる光景は1階と変わりません。その先にあった館内案内図に仰天しました。
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 このピエリ守山で営業していた店舗は、
・カフェ
・ペットショップ
・宝くじ屋兼旅行代理店

営業している店舗は、たった3店舗だけだったのです。

 3店舗の為にショッピングモール全体を営業させねばならない運営側。そして、集客能力の無くなったショッピングモールで営業を続けるテナント側。オープンからたった5年でこの姿、言葉がありませんでした。もう少し、探索を続けてみましょう(続く)。
 

テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

明るい廃墟「ピエリ守山」探訪1
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 大型ショッピングモ-ルのウインドーショッピングってお好きですか?私、結構好きで各地のショッピングモールへ出かけます。見ているだけでも何か豊かさを感じてしまう魔力。地方に暮らしていてもある程度のモノが地元で手に入る買い物の楽しみを消費者に与えた商業形態だと思います。その集客力の大きさから、全国各地にタケノコのように増えてきたショッピングモールですが、近年ではショッピングモール同士による競争が激化した結果、勝ち組と負け組がハッキリと出てくるようになり、競争に敗れていったショッピングモールも見られるようになりました。
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 弊ブログでは、以前その大激戦地域の一つである岐阜地域で敗れていったショッピングモール「リバーサイドモール」を取り上げたことがあります。
【参考】弊ブログ・オーバーストア現象(2011.05.24)
http://kouryudo.blog61.fc2.com/blog-entry-911.html
 ところが、それを遥かに更に上回る、すごいショッピングモールが滋賀県にあるという噂を聞き、2013年11月末に見に行ってきました。今回から数回に分けて、その模様をお届けします。
 岐阜の山奥から名古屋・大垣・米原と電車を乗り継いで約3時間。滋賀県守山市へやってきました。JRの新快速で京都まで20分、大阪梅田まで1時間弱という立地なので、京都・大阪へのベッドタウンとして発展している街の一つです。ここからバスに乗り換えます。ショッピングモールまでの所要時間は約30分、運賃480円。運悪く、正面まで乗り入れるバスが1時間待ちだったので、その近くまで行く琵琶湖大橋経由の堅田行きバスに乗ります。
 この守山市と琵琶湖大橋の対岸である大津市の堅田・雄琴・坂本地区を走る近江鉄道及び江若交通のバスに乗り放題の1日乗車券があることが判明。元が取れそうだったので記念に購入しました。日曜日で営業所は休みでしたが、バス運転士さんから購入できたので助かりました。
【参考】近江鉄道ホームページより
http://www.ohmitetudo.co.jp/bus/rosen/ecobus.html
 なんせ、開業時は滋賀県最大のショッピングモールとして開業したのだから、名前ぐらいは載っているだろうと思って、1日乗車券のエリア図を眺めていたら、
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わんわん王国(笑)

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 オレが行きたいのはわんわん王国じゃなくて、ショッピングモールなんだけど。調べてみたら、このショッピングモール、確かに犬のテーマパークだった「びわ湖わんわん王国」の跡地に造られた模様。びわ湖わんわん王国、確かに名前は聞いたことがあります。名古屋でも中京テレビ限定で流れてましたからね。東海地方じゃ、岡崎の「わんわん動物園」の方が有名ですからね。まぁ、わんわん王国は2005年に閉園。入場料1800円だったそうで、それじゃリピーターおらんやろな。同時に、この乗車券自体もそれ以前に印刷されたモノ。よほど、売れてないのでしょうね。
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 堅田行きバスは10名ほど乗せて守山駅を出発。10分も走るとのどかな田園風景となり、お客さんが徐々に減ってきました。日曜日午後2時過ぎのバス。ショッピングモールへ行くなら、買い物客にとってある意味ゴールデンタイムのはず。しかし、買い物客らしき姿は見られません。バスの乗客は4人まで減って、立派な琵琶湖大橋のたもとにある「琵琶湖大橋東詰」で下車。湖周道路と呼ばれる県道を彦根方面へ10分ほど歩きますと、カーブの向こうに大きなショッピングモールが見えてまいりました。これが、噂のショッピングモール「ピエリ守山」です!!
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 このショッピングモール、2005年にテナント数200を有する滋賀県最大のショッピングモールとして開業したというのに、日曜日の午後3時の駐車場がこれ。定休日じゃありません。日曜午後3時といえば、ショッピングモールにとってはゴールデンタイムです。周辺道路まで駐車場へ入るクルマがあふれて当たり前なのに、こんなに立派な駐車場にはクルマがほんの20数台止まっているだけ。なかなか見られませんよ。
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 屋上駐車場は補修工事中につき閉鎖中。しかし、どう見ても補修された形跡はなく、長期に渡って閉鎖されている様子がうかがえます。
 外観を見ただけだというのに、早くも衝撃に言葉を失ってしましましたが、館内に突撃します。そして、館内で繰り広げられたピエリ守山の姿に打ちのめされます(続く)。

テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

津島市・天王川公園の藤棚
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 江南市・曼陀羅寺の藤棚を見て、尾張の二大藤棚のもう一つ、津島市の天王川公園の藤棚も見たくなりました。幸いにも今年は江南と津島両市が同じ期間に藤まつりを行うことになり、江南だけでは「片巡り」になってしまうことから、4月某日津島へ行ってきました。
 名古屋から名鉄津島線に乗って津島駅へ。江南と違い、津島は駅から藤祭り会場までのバスが無く、駅から会場まで20分ほど歩きます。ただ、津島は津島神社の門前町。駅前の寂れっぷりは気になりますが、津島神社に近づくにつれ、ところどころに渋い街並みが残っています。軒を連ねる格子戸のある家、屋根神様をまつる家、道々の辻井戸などが残っています。津島の「上街道」とはどんな道だったのでしょうか。
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 上街道、正しくは「津島上街道」というそうです。名古屋から新川・甚目寺・木田・勝幡・津島を結ぶ3里15町(約13.5km)の道。安土桃山時代には津島神社や鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)へ向かう参道として賑わい、江戸時代は美濃街道(甚目寺)から分かれ,津島に向かう道として津島神社の参拝者や、巡見使(米の出来や生活を見るために派遣された人)、商人らが往来しました。現在の名鉄津島線はこの街道に沿って線路が伸びています。
 また、尾張藩(名古屋城下)と高須藩(岐阜県海津市高須城下)を結ぶ高須街道の一部としても機能し、こちらも20年程前まではバス路線が残っていたそうです。
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 街道にありがちな家々が並ぶ中、こんな渋い建物もありました。資料館なんだそうです。
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 津島駅から、ひたすらまっすぐ歩くこと15分ほど。藤まつり会場の天王川公園の案内標識を一旦無視して、進んだ突き当たりに津島の象徴・津島神社があります。津島神社は「津島牛頭天王社」「天王さま」とも呼ばれ、疫病や厄除けの神様として親しまれています。1450年もの長い歴史を誇る津島神社は、「西の八坂神社、東の津島神社」と並び称され、全国に3000余あるといわれる「天王社」の総本社なのだそうです。
 私もいろいろ厄がまとわり付いているので厄払いを願い、藤祭り会場の天王川公園へ向かいます。
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 津島神社から5分ほどで天王川公園に到着です。ここは街道が整備されていなかった鎌倉時代は桑名への渡し船の湊として機能していたそうです。藤棚はずっと奥だそうですので、もう少し進みます。
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「ここだけ見て帰らないでね。」
 ここだけだったら、ブチ切れですよ。
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 公園の中に立つ銅像。この人は片岡春吉という人で「津島毛織業の父」と呼ばれているそうです。少し調べてみました。
 片岡春吉は1872年(明治5年)に岐阜県養老郡多良村(現在の大垣市上石津町)の鍛冶屋の二男に生まれ、年季奉公で部品販売に従事するなか、1892年(明治25年)津島のあさ(織機部品)製造販売片岡孫三郎に見こまれ、婿養子になりました。1894年(明治27年)の日清戦争出兵の際、支給された毛織物の軍服に綿織物から毛織物の時代到来を感じ、毛織物生産を決心したそうです。
 2年間にわたる全国織物地の見学調査の結果、当時日本に一つしかなかった東京モスリン工場に入社し勉強に励み、更に2年後の1898年(明治31年)津島に帰り片岡毛織工場を設立。改良や努力の結果、品質の良い服地を織り上げることに成功。事業が軌道に乗ると、それを地元の人々に技術指導し、時には投資や資金提供も行うことで、津島を中心に西尾張地方の毛織物産地の活性化に寄与した人物なのだそうです。
 銅像は戦前に建てられたものだそうですが、太平洋戦争時の金属供出で一度は失うものの、戦後に津島毛織工業協同組合が再建したのだそうです。片岡毛織は現在も存在しているそうです。
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 藤棚は銅像から更に先、天王川公園の一番南側にありました。出店の数は江南を圧倒していますが、藤棚自体はこじんまりとしています。津島も戦後に市の花を「藤」に制定してから、藤棚の整備を始めたのだそうです。
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 藤棚によって成長を続けた藤と、自生によって成長を続けた藤の対比。
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 津島の藤棚がきれいなのは、直下が川になっているので、夜間のライトアップ時間帯には逆さに映る藤の花も楽しむことができます。

テーマ:名古屋・愛知 - ジャンル:地域情報

江南市・曼陀羅寺の藤棚
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 4月某日、愛知県江南市の曼陀羅寺(まんだらじ)の藤まつりを見に行きました。ここの藤棚がローカルニュースで何度も取り上げられていましたので、どうしても気になりまして。名古屋から名鉄犬山線で江南駅まで行き、江南団地行きバスに乗り換えて現地到着です。所要時間約1時間。
 現地に駐車場が少なく、江南市があらかじめ郊外に駐車場を確保しシャトルバスを運行していたことから、渋滞らしいものも無く、スムーズに行くことができました。
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 曼陀羅寺は西山浄土宗の古刹で、尾北地方における最も格式の高い霊場なのだそうです。寺域は1,300坪、檜皮葺の正堂を中心に庫裏、大書院、小書院、曼陀羅堂、地蔵堂、鐘楼、宝蔵、続いて中門、南門(矢来門)が甍を連ねています。山内にはさらに塔頭の8か寺があり、尾張徳川藩より寺領231石余りを給地されていた名残りをとどめています。
 1329年(元徳元年)後醍醐天皇の命により、天真乗運を開山として創建されたと伝えられ、かつては円福寺と称していたのですが1462年(寛正3年)に現在の寺号になったそうです。現存する正堂は1632年(寛永9年)に当地出身で、後に徳島藩祖となった蜂須賀家政(小六)によって再興されたものとのこと。
 当日は本堂にも入ることができ、別料金(500円)で普段は非公開にしている秘仏を見ることもできました。
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 曼陀羅寺の周りに更に寺が隣接しており、その寺も庭園の管理が見事でした。では、本丸の藤棚へ行ってみます。
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 藤棚は藤の甘い匂いに包まれていました。園内には12種類約60本の藤が植えられており、早咲きのモノ・遅咲きのモノ、色も紫・紅・白も様々。房の長く優雅な花房や短く可憐なもの、そして八重咲きのものと、多種多様な藤が色鮮やかに咲き誇り、藤の甘い香りを楽しみながら癒されます。
 藤まつりの歴史は、昭和の戦後復興が落ち着いた1953年(昭和28年)に境内を藤の名所にしようと地元の人が思い立ったことに始まります。1958年(昭和33年)に藤棚が完成。1966年(昭和41年)に第1回藤まつり開催。1970年(昭和45年)に境内約43,000㎡(13,000坪)の内、約10,000㎡を提供し、江南市は曼陀羅寺公園として整備。その後愛知県の協力も受け、更に隣接地3000㎡を購入。屋外ステージも併設する公園として1986年(昭和61年)に完成し、現在に至っているそうです。
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 最近、歳のせいでしょうか。花を見て「きれい」と思う感覚がようやく分かってきた気がします。
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 藤同様に多種多様だったのは露店商。今回の藤まつりで特に印象に残ったのは、こちら。「この方角に南天の木を植えなさい」「ここに〇〇を置いてはならない」って感じで、延々と風水の話を聞かせてくれます。「今帰っていった方、本人の前で言えなかったけど、○○で…」とか、人を引き付ける話法は相当なベテランさんですね。口上が名人芸のレベルで聞き惚れていますと、あっという間に30分近くが経過。一体、この人は何を売るつもりなのかと思いきや、最後に風水の本を1冊2,000円で売るというオチ。
 ここの事情までは説明しつくせないから、あとは本を読んでねということらしい。本に専用の相談用紙が挟んであって、何かあれば1回限りで相談無料だそうで、見物人が続々と買い求めていました。人生を変えたいと思うことがあります。結構単純かつ簡単な心がけ一つで道が拓いていくものです。それを実現させるために一歩踏み出すことができるかどうか、それを信じるか信じないかは個々の自由。
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 いろんな発見がありました。一見の価値ありです。

テーマ:名古屋・愛知 - ジャンル:地域情報

2012紅葉Ⅰ・岩屋堂(瀬戸市)
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 これよりしばらくの間、2012年秋に出かけました紅葉巡りの模様をお届けします。第一回は瀬戸市の岩屋堂公園です。
 岩屋堂は瀬戸市の郊外にあり、奇岩や滝・天然プール、マスの養殖場もある自然豊かな環境として知られます。瀬戸市は名古屋のベットタウンとしても知られますが、少し街から離れると開発から逃れた豊かな里山が広がってます。
 今回行ってみようと思ったのは実に偶発的な理由で、岩屋堂のライトアップがキレイという情報を前日のTV番組で知ったため。ライトアップですから午後から出かけても十分楽しめるし、瀬戸ですから名古屋から近い。じゃ、行ってみるかって、実に安直な動機でした。
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 11月18日、午後3時に名古屋の自宅を出発。大曽根駅から名鉄瀬戸線に乗り、更に尾張瀬戸駅で名鉄バスに乗り換えます。かつてはJR東海バスが岩屋堂まで直通バスを運行していましたが10年程前に無くなり、現在は最寄りバス停から30分歩くとのこと。ちょうど良い運動ですね。
 今回は紅葉見物客に対して、瀬戸市が「道の駅瀬戸しなの」を拠点に定光寺~道の駅~岩屋堂を結ぶシャトルバスを運行しているという情報を尾張瀬戸駅で知り、これなら楽だ楽観視していたのですが…。
 品野方面へ向かう国道248号線の瀬戸市街を抜けたところでバスがスピードダウン。渋滞です。前日のTV放映効果でしょうか。ノロノロとバスは進みますが、遂に瀬戸自動車学校脇の伍位塚バス停で動かなくなりました。岩屋堂を先頭に約5kmの絶望的な渋滞でした。
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 その後、渋滞にハマること約1時間。何とか3区進み、目的地だった品野本町バス停の2区手前・品野坂上バス停で下車。普段は10~15分ほどで到着するところを1時間10分かかりました。シャトルバスへの乗り換えもかなわず、ここから岩屋堂まで徒歩45分のハイキングとなりました。
 国道248号線から岩屋堂までの約2㎞は駐車場待ちのクルマで大渋滞。歩道も無い道ですが渋滞するクルマの脇をすり抜けて進みます。昼間のハイキングと異なり、とにかく暗いので危険が伴います。幸い足元はクルマのライトで明るかったのですが、街灯が無いため道路から一歩離れると漆黒の闇です。県道から分かれる道を進み、東海環状自動車道の高架をくぐった突き当たりが岩屋堂です。最奥の無料駐車場付近では漆黒の闇。ホント、心細かったです。
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 漆黒の闇を更に進むと、そこにはライトアップされた岩屋堂公園の紅葉が広がっていました。こちらのイベントがすごいのは、行政や観光団体でなく「品野つくし会」という地元有志のボランティアが仕掛けている点です。岩屋堂のパンフを頂き、まずは岩屋堂へ向かいます。
 岩屋堂。正式には「岩屋山薬師堂」といいます。石碑によれば、今から1300年ほど前の725(神亀2)年に僧・行基がここで草庵を結び、この岩窟のなかで聖武天皇の病気平穏を願い3体の仏像を彫刻し、1体の薬師瑠璃光如来を本尊として建立された天然の巨岩による祠で、目や耳の病気平癒に霊験があるそうです。
 夜間撮影が苦手なデジカメですので、画像処理してみましたが分かりにくい画像でスミマセン。外観は↓昼間の画像↓を参考になさってください。
【参考】愛知県観光協会HP
http://www.lets-go-aichi.jp/article/2010/000676.html
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 岩屋堂公園は鳥原川に沿って紅葉が広がっています。川を挟んで公園を周遊できるようになっており、思い思いに紅葉をカメラに収める姿が見られました。ライトアップによって紅葉が色鮮やかに川面に映えています。ボランティアの方がいて、「ここで撮影するとキレイ」なてアドバイスもしてくれました。鳥原川に浮かぶ「逆さ紅葉」が見事です。それが冒頭の画像です。また、幻想的な竹あかりや陶アートも見所です。
 岩屋堂には売店の他にも料理旅館が3軒ほどあり、瀬戸の奥座敷となっています。紅葉に合わせて見物客相手に出店もあって、豚汁で冷えた体を温めました。名古屋から近いのですが山間の為、夜間は名古屋市内に比べ3~5度程度低いので、1枚厚着する必要があります。
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 時間の経過を忘れるほどでしたが、新瀬戸駅行き最終バスが20:24のため19:50に岩屋堂を脱出。滞在時間は1時間程でしたが、充実した紅葉見物でした。道中を埋め尽くした渋滞も無くなり、寒くて暗い道をバス停まで再び30分歩きます。しかし、岩屋堂の紅葉はクオリティが高く、ライトアップの感動で苦痛に感じることも無く帰宅することができました。

テーマ:名古屋・愛知 - ジャンル:地域情報

熊野灘最後の渡し船・須賀利巡航船4
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 2012年9月29日に行ってきました、三重県尾鷲市の須賀利巡航船特集の4回目です。今回は尾鷲市須賀利町の模様をお届けします。
 15:50に尾鷲港を出発した須賀利巡航船は、定刻通り16:12に須賀利港到着。巡航船の到着を待っていたかのように、港には須賀利の皆さんが出迎えていました。なぜなら、折り返し16:30発の尾鷲行きが最終。つまり、97年続いた須賀利巡航船の最終便だったからです。地元でのセレモニーは翌日に行われるということで、定期便としては最終便ですが、目立ったイベントもありませんでした。
 船を迎える人。その脇では釣り竿を垂れている人。非常にのどかな風景です。
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 尾鷲港行き最終便出航まで約15分。殆ど時間無いですが、せっかく来ましたので、大急ぎで須賀利の街を駆け巡ってみることにしました。
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 須賀利の街は30年前までクルマが入って来れなかっただけのこともあり道は細く、須賀利のメインストリートでさえ、普通車が何とか通れる程度の道幅しかありません。手前右手の建物は銭湯だったそうです。
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 須賀利には海沿いにしか平地が無いことから、民家約200戸が海から山へびっしり張り付くように立っていますいています。山側へ行くには、すべて階段。須賀利の街を見下ろすために階段を駆け上ります。
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 須賀利の街と須賀利港の様子。尾鷲市の統計によれば、現在の須賀利の人口は、平成23年4月30日時点で304人とのこと。普段は本当に静かな漁村なのでしょう。過疎の為か雨戸を閉めている家が多いのも気になりました。ただ、休日だけ須賀利に戻ってくるという生活形態の人もいるそうです。この時点で出航8分前。大急ぎで港へ戻ります。
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 港では小学生が釣りを楽しんでいます。ちなみに須賀利の子どもは、須賀利にあった尾鷲市立の小学校が生徒の減少に伴い休校になってしまったので、現在は山を越えて紀北町の小学校へ通学しているとのことです。
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 今日の釣果は?とバケツを覗き込むと、あらあら大漁じゃないですか。これなら夕飯に限らず、明日の昼飯ぐらいまで賄えるんじゃないですか!親孝行だね。そして、この須賀利の海が天然の生簀を擁する「宝の海」であるということ。この海をいつまでも守り続けて欲しいものです。
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 さて、出航時刻ですので船に乗り込みます。乗客は行きより若干少なめの10名ほど。汽笛を鳴らして出航です。2012年9月29日16時30分、97年間続いた熊野灘最後の渡し船・須賀利巡航船尾鷲行き最終便の出航です。
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 船は静かに須賀利港を離れて行きました。乗客は地元の人は皆無。全国から集まった同業者ばかりです。しかし、須賀利の人達は見ず知らずの旅人に向かって手を振って見送って下さいました。須賀利から尾鷲へ向かう巡航船はもう出ません。そして、これだけの観光客が須賀利を訪れることも今後は無いかと思います。
 須賀利巡航船の廃止、それは須賀利地区にとって大きな節目になると思います。感動的な風景が展開するとともに、須賀利地区が今後どうなってしまうのか、巡航船の廃止は地元須賀利地区の住民が住民投票によって選択したものとはいえ、今後の行方が気になってしまいました。
 そして、尾鷲港での最後のセレモニーを見届けることになります(続く)。

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熊野灘最後の渡し船・須賀利巡航船3
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 2012年9月29日に行ってきました、三重県尾鷲市の須賀利巡航船特集の3回目です。
 遂に須賀利巡航船の出航時刻がやってきました。15:50の出航10分ほど前から乗船開始。地元の人らしき人は1人だけで、残りはカメラを首からぶら下げた同業者ばかりです。さっさと乗船すると、桟橋に乗客の姿は無し。港にも人気が無い有様でした。
 須賀利に行くのは実は2度目です。初めて行ったのは2005年6月2日。当時、郵便局巡りに熱中しており、その聖地として名高い奈良県上北山村にあった「東の川簡易郵便局」へ行くため、名古屋から夜通しレンタカーで爆走したのですが、尾鷲から東の川への近道だった国道425号線が土砂崩れで通行止めとなってしまい、この郵便局を訪ねるために尾鷲から熊野市・下北山村経由で2時間半以上かけて迂回する他に手段がなく、一筆書きルートによる探索にこだわった末に訪問を断念し、東紀州地方の郵便局巡りにテーマを変更した際に立ち寄った郵便局の一つでした。海山町から山を越えて須賀利に入ったところは覚えているのですが、どんな郵便局だったか、どんな街だったかは良く覚えていません。当時、須賀利がすごい集落だったということ知らなかったのです。
 当時と異なり、今回は事前情報を得た上で須賀利へ乗り込んでいますので、非常に興味津々です。
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 15:50、定刻通りに須賀利巡航船は尾鷲港を出港しました。巡航船の廃止が報じられてから、週末には1便当たり20名程度の利用があったそうです。しかし、この日は最後の運航日にも関わらず、台風接近のため帰りの交通障害を恐れたのか、本当に寂しい最終日となりました。
 乗客はカメラを手に持つ同業者ばかりですので、狭い船内を縦横無尽に歩き回りシャッターを押しまくります。なかには、船長さん・助手さんの表情を撮影する人も。普段、こんなことは絶対に無いでしょうから、さぞ困惑されたことでしょう。私は小心者ですので、正面からの撮影は自粛しましたが。
 巡航船は2人乗務。船長さんは68歳。中学卒業後、カツオ船に乗り込み太平洋を駆け巡り、ハマチ養殖業を経て1995年から巡航船の船長になり、17年間舵を握ってきました。今回、巡航船の廃止を持って引退されるそうです。
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 助手の方が乗車券の半券をもぎりに来ます。この方は61歳。本来は行きと帰りで役割分担を交代するそうですが、この日は往復とも同じ体制でした。
 須賀利巡航船は1915年(大正4年)に個人経営の定期船として就航。1982年(昭和57年)に県道が須賀利に到達するまでは、文字通り「地域の生命線」として欠かせない存在となりました。その後、クルマへの移行と過疎化が重なり、利用者が激減。1995年(平成7年)から尾鷲市と須賀利町の共同出資による第三セクター方式になりました。
 しかし、1998年(平成10年)度には年間17,208人の利用がありましたが、2006年(平成18年)には5947人にまで減少し、翌年10月からは日曜日を運休とし、赤字を減らす取り組みを続けながら存続していたのです。
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 徐々に尾鷲の街並みが遠ざかっていきます。
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 尾鷲港を出て10分ほど。左手に見える湾の奥の方に集落が見えてきます。アレが須賀利かと思いきや、それは紀北町(旧海山町)の引本港とのこと。実は1970年代は須賀利巡航船は須賀利を拠点に尾鷲~須賀利~引本という航路で双方への往来が可能だったそうです。これが1982年に道路が開通することで陸路での移動が可能になった引本港航路が廃止され、尾鷲港航路だけになったそうです。
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 船が左に進路を変えると奥にうっすらと集落らしいモノが見え、船はその集落へ向かって進みます。須賀利の集落のようです。
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 16:12、須賀利港到着。折り返し16:30発の尾鷲港行き最終便となります。たった15分ほど。この短い時間に須賀利の街を大急ぎで回ってみることにしました(続く)。

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