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名古屋・広隆堂ブログ
名古屋から発信する、少し偏った情報と管理人の徒然なる平凡な日記。乗り物・旅・名古屋の情報・時事ネタ・テレビ・ラジオを中心にあれこれ思うことを書き綴ります!がんばろう、日本!がんばろう、東北!そして、がんばろう、自分。
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
FC2ブログへようこそ!
1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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岩瀬仁紀論
 6月7日、ドラゴンズ抑えの切り札・岩瀬がボコボコに打たれた。プロ通算250セーブ達成が懸かった試合。しかし、岩瀬の投球はあまりにもひどい内容だった。今シーズン初黒星。あまりに痛い1敗だ。確かに岩瀬の背信は年に何度かあるから、弘法も筆の誤り程度のことという説もある。だから、落合監督のコメントはいつも「岩瀬で負けたら仕方ない」であり、岩瀬個人を庇うのだ。落合監督は決して選手を個人批判しない。すべての責任を自身に課す選手思いの監督なのだ。監督のコメントはファンにも浸透している。しかし、今回の背信はそんな一言で片付けられるものではなかった。結果論を書くのは少々ナンセンスなのだが、熱狂的ドラゴンズファンでありながら敢えて批判覚悟で少し書いてみたい。

 この日、打たれた後のTwitterや2chの荒れ様は凄かった。しかし、岩瀬を庇うコメントが多数派なのである。これには少々異常なものすら感じられた。これまでの実績を勘案したら、この1敗は許容範囲内との意見が多いのだ。しかし、2010年ペナントレースの大事な白星を失った事実をあまりにも軽視してはいないだろうか。ドラゴンズは優勝できなくてもいいのですか?大事な白星、しかも川井の好投で掴みかけたモノを潰してしまったのですよ。過去の功績だけで持ち上げる、まるで少し前の自民党政治みたいな思考である。中日スポーツや名古屋のマスコミの影響が強いのか、ファンにも複眼的な視点が欠落している印象を持った。

 確かに岩瀬という投手は偉大なストッパーだ。10年以上、抑えに君臨するピッチャーなんて、めったにいない。ドラゴンズでいえば、郭源治が少し長かったものの、宣銅烈が4年勤めた他はいずれも短命で、与田・森田がそれを象徴する。抑えが定番化するということは、同時に他チームからも攻略対象になるということ。しかし、それを制球力の良さと強靭な体力・精神力で克服してきたのだ。最近活躍している浅尾が岩瀬の領域に達するには、まだ相当な時間と経験が必要だと思う。それぐらい偉大な存在だ。
 でも、岩瀬の球のキレは全盛期と比べると明らかに落ちている。ここ2~3年は3人でピシャリと抑えることはなくなり、4人で抑えるのが恒例になった。以前はランナー満塁にしても無得点に抑えることが多く、その投球術に岩瀬の余裕と恐ろしさを見ることが珍しくなかったが、最近は初球を簡単に打たれたり四球を連発し、自らを苦しめる投球が増えてきた。余裕を感じることはなく、綱渡りのようなヒヤヒヤすることの方が多い。
 そして、イニングをまたぐことすら珍しい。しかも、セーブポイントをつける意図的な継投も多く、5点以上リードしていても点差を縮めて岩瀬へスイッチすることも度々あり、中継ぎ陣を「岩瀬にセーブを付けさせ隊」と2ちゃんねるやTwitterなど、ファンの間で揶揄することもある。辛勝が目立つようになってきた。
 
 このまま、抑えを続けるか、他に転向するかを考える時期に来ている。ここまで来ていまさらの転向は難しいと思うが、チームのためではなく個人記録のためにマウンドに上がるという姿勢は感心できないし、プロ選手の姿ではない。結果は後からついてくるものであって、意図的に稼ぐものではない。先日の敗北も結局は個人成績を追ったことが敗北の引き金になっている。
 岩瀬本人にとって、250セーブは通過点に過ぎないと思う。抑えを続けて、日本初の300セーブ達成という夢も面白い。彼のペースなら2年後にも達成できるだろう。しかし、それまでこの胃が痛むような試合展開を続けるつもりなのだろうか。まだ、伸びしろはあると思う。枯れた老獪なピッチングで行く路線もある。クローザー一筋で行くか他に転向するか、方法は複数ある。だが、本人は抑えを選択すると思う。

 あの試合について、岩瀬以外にも一言述べたい。なぜ、無死1・2塁でマウンドの岩瀬に誰も声をかけないのか。特に荒木・井端。そして、打たれた後で声をかけた森野。何やってるんだ。支える立場の選手が支えない。これだから、何かトラブルが発生するとすぐにチームの和が壊れてしまうんだ。もっと、チームプレーを考えてほしい。

 ずいぶん無礼な文章になってしまったが、岩瀬投手は大学の先輩でもあり、ドラゴンズファンとして大学の先輩として尊敬している。球界を代表する投手ゆえに少し駄文を記したことをお許し願いたい。250セーブ達成の際は、おめでとうツイートをTwitterに書き記したいと思う。

 大記録達成へのプレッシャーなのか。中日守護神・岩瀬がまさかの3失点で昨年8月22日以来の黒星を喫した。2点リードの9回。史上3人目の通算250セーブ達成で名球会入りは目前だったが、球にいつもの切れも制球もなかった。連打と四球で1死満塁から高山、石井義に連打されて逆転された。
 3万1641人の観客から悲鳴が上がる中、悪夢の25球をベンチで見届けた落合監督は「しようがない」と2度繰り返した。森ヘッドコーチも「プレッシャー?ないわけないだろ」と擁護した。ポーカーフェースの左腕は「すべてにおいて申し訳ない。ここまできて意識しないわけではない。結果は取り返しようがないので次やるしかない」。そう絞り出すのがやっとだった。


引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100608-00000014-spn-base
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テーマ:中日ドラゴンズ - ジャンル:スポーツ

「おんたけ交通」の選択
 6月5日に出かけた「木曽漆器祭り」では、駐車場からのシャトルバスに松本電鉄バスやおんたけ交通、塩尻市のコミュニティバスが駆り出されていました。今回は、おんたけ交通についての考察です。
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 数年前に名鉄グループから離脱したおんたけ交通ですが、名鉄色カラーがまだ残っていました。木祖村のコミュニティバスに使われているようです。
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 こちらが名鉄グループ離脱後に導入されたおんたけ交通の新カラー。

 おんたけ交通は木曽福島(木曽町)に本社があるバス事業者。現在は木曽福島・南木曽・薮原を起点に路線バスを走らせています。創業は1925年(大正15年)7月。戦争中は飯田の信南交通に統合されるが、戦後1949年(昭和24年)2月に分離独立。1959年(昭和34年)7月、長野に影響力の強い東京急行電鉄の関連会社となるが、1964年(昭和39年)4月に東急が保有する全株を名古屋鉄道に譲渡し、おんたけ交通は名鉄グループ入り。1974年(昭和49年)に黒字となったことはあるが、以降32年間営業損益は赤字の連続だったそうです。乗合バスは毎年3千万円から1億円近い赤字。車両や土地などの売却、国や県からの補助金で穴埋めをしてきたが、従業員の退職金が重くのしかかり、平成10年には親会社の名鉄から5億円を借り入れ、一端全員の退職金を清算、諸手当の廃止など経営改善を実施した。このとき退職金の借り入れを含めて借り入れ総額は18億8千万円にまで膨れ上がっていた。
 名鉄はグループ全体で不採算部門からの撤退を始めており、いつかは公共バス事業からも撤退することが予想されていました。赤字経営の背景には、言うまでもなく人口減少とマイカーの増加です。木曽郡全体の人口は、昭和35年がピークで6万7千人、それが平成10年には4万2千人まで減り、現在は3万2千人です。マイカーは、昭和40年2,345台だったのが、平成10年に31,201台にまで増えた。おんたけ交通の年間輸送人員も昭和40年のピーク時で約270万人だったのが、平成10年には82万人まで落ち込んでいた。
 2006年(平成18年)10月、ついに名鉄は所有する全株式を地元自治体(木曽町・上松町・南木曽町・木祖村・王滝村・大桑村及び木曽広域連合)に無償譲渡し経営参画から撤退。ちなみに末期の株主構成は名鉄55.4%、木曽町 4.1%、その他40.5%でした。経営権を地元自治体へ委譲することによって、おんたけ交通は一般路線バスからすべて撤退し、「地域交通システム」の誕生により自治体に経営を担ってもらい、会社はバスの運行に専念するシステムを採りました。これにより、地元では「自分たちのバスだ」という意識付けになったといいます。
 19年4月から路線バスの運行を全面的に自治体からの委託契約に切り替え、親会社の撤退に伴う借入金返済、減損処理により黒字転換を図りました。現在は2003年(平成15年)4月に参入した中央高速バス(新宿駅~木曽福島駅間)以外は、自治体によるコミュニティバスばかりです。地域交通システムの採用により、1,500円近くした運賃が200円になったなど、運賃の大幅値下げが木曽地区の各地であって、利用者が8%程度増加したといいます。
 
 そのおんたけ交通が木曽福島から飛騨高山を結ぶバス路線を運行するそうです。ある意味画期的なバスルートの開業です。でも、おんたけ交通といえば、以前に伊那バスとJRバス関東と組んで権兵衛トンネル経由で伊那市駅までを結ぶバス「ごんべい号」を2008年春に運行しながら、たった1年で撤退する残念なケースがありました。
 中央アルプスに風穴を開け「木曽・伊那両地域の悲願」といわれた権兵衛トンネル開通と同時に新設されたバス路線。木曽と伊那を通年走行可能な道路の完成で、買い物・通院から観光まで幅広い利用が期待されました。ところが、塩尻・松本方面への流れが強い木曽地域と、地域内での流動が多い伊那市との交流は希薄であり、通勤・通学・通院に使われるケースは皆無でした。長年、培われていた生活経済圏の壁は大きかったのです。また、観光でもクルマ利用が圧倒的であることや運転本数及びダイヤグラムの関係で利用しづらく、運行開始3ヶ月でで早くもダイヤ改正を断行。1便当たり1.9人が2.3人と利用者は若干増えましたが、廃止を決める統計となった2008年11月の利用状況は総利用者数4,238人、1日当たり17.4人、1便当たり2.2人と低調なままでした。更に木曽行き利用者の約3割は峠を越えず、伊那中央病院など市内での利用にとどまってもいる実態も分かりました。地域の悲願であったはずの「ごんべい号」は、木曽・伊那両地域住民に定着することも無く、たった1年で廃止を迎えてしまいました。
 今回、高山を結ぶバス路線はは観光に的を絞り、運賃も通常料金レベルに引き上げ収益性も上げています。しかし、1日2往復でどの程度の利用があるかはフタが開くまではわかりません。しかも、今回の定期観光バスは木曽と飛騨というい強い観光ブランドを結びつけてはいますが、この地域をつなぐ動きは木曽と伊那を結んだ「ごんべい号」よりも小さいのではないかと見られます。

 でも、始めるのであれば、石の上にも3年じゃないですが、せめて3年は何とか続けてほしいと思います。「ごんべい」号も3年続けていたら、地域間ルートとして定着していたかもしれません。公共交通ルートを新規に作るなら、少し長い目で見てほしいと思います。

 長野県では、おんたけ交通に続いて飯田市の信南交通も一般路線バスからの全面撤退を発表し、着々とコミュニティバスへの移行が進んでいます。また、松本電鉄・川中島バス・諏訪バスなどのアルピコグループも2008年12月に債務超過による私的整理に動き出し、再建計画には赤字路線バスの廃止を断行、コミュニティバスへの移行が進んでいます。
 クルマ社会が進んでいる地域では、都市部より悲惨な状況が顕著になっています。地域ぐるみで公共交通を守る姿勢が求められています。

 木曽町は7、8月と10、11月、同町と岐阜県高山市を結ぶ定期観光バス運行の実証実験をする。木曽、高山両地方相互の新観光ルートとして、本格運行に向け利用促進に力を入れる。
 木曽、高山とも歴史的街並みがあることなどから、外国人観光客増にも期待。木曽町が国の助成を得て、運行経費370万円を負担する。
 計画では、バスはJR木曽福島駅-高山駅間の国道361号で運行。町がおんたけ交通(木曽町)と濃飛乗合自動車(高山市)に業務委託する。7月24日~8月29日は両社各1往復、10月9日~11月7日はおんたけ交通が1往復する。途中、同町開田高原で停車する。所要時間は2時間30分。運賃は片道大人2000円、小学生1000円。
 木曽町は2007年度、伊那市と共同で、国道361号を通り両市町を結ぶバスを試験運行したが、利用が少なく廃止した。町産業観光課は「生活、観光のどちらを重視するかあいまいだった。今回は観光利用に絞った」と説明している。 

引用元:http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20100521/CK2010052102000011.html?ref=rank
【参考】
社会民主党長野県連合 木曽おんたけ交通ルポ 中川博司
http://park7.wakwak.com/~sdp-nagano/080408news_ontake.html

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