FC2ブログ
名古屋・広隆堂ブログ
名古屋から発信する、少し偏った情報と管理人の徒然なる平凡な日記。乗り物・旅・名古屋の情報・時事ネタ・テレビ・ラジオを中心にあれこれ思うことを書き綴ります!がんばろう、日本!がんばろう、東北!そして、がんばろう、自分。
広隆堂厳選!!一品入魂!!

すべて、実際に購入して試したものばかり!だから、自信をもって、お勧めします!Produced by 楽天市場

広隆堂 twitter 支店

最新の情報をつぶやいています。フォロー・ツイート大歓迎!!

FC2カウンター

最近の記事

プロフィール

広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
FC2ブログへようこそ!
1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

カレンダー

12 | 2012/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

カテゴリー

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

月別アーカイブ

2011東北冬紀行13・岩手県大船渡市
DSCN0244_convert_20120422013001.jpg
 12月27~30日にかけて訪問した東北探訪シリーズの13回目、今回岩手県大船渡市の模様です。
 12月30日、朝5時15分に雪の気仙沼駅前を出発し、1時間ほどかけてJR盛駅前までやってきました。大船渡市は人口4万人。漁業はもちろんのこと、市内に石灰石鉱山があることからセメント工業も盛んな街であるため、三陸地方の街でも石巻市や気仙沼市とは街の趣が異なります。
 また、大船渡市街地は行政・司法の中心である盛町と交通・商業の中心である大船渡町で構成されており、2つの街が一体化しているため、大船渡の街は随分大きなイメージを持ちました。
 盛駅は大船渡市の内陸部にあります。この辺りは無事なように見えますが、津波被害で一部冠水したそうです。この駅にやってくるJR大船渡線(一関~気仙沼~盛)と三陸鉄道南リアス線(盛~釜石)は甚大な被害を受けてしまっていることから、JR大船渡線は再開時期未定、三陸鉄道南リアス線も2014年度中の再開予定となっており、当面この駅は事実上機能しないということになります。
DSCN0237_convert_20120422012202.jpg
 一応、利用者対応として日中は駅員が常駐しているそうでしたが、訪問したのが早朝6時ということもあって、駅舎は施錠されておりました。幸いにも駅のすぐ脇に線路の向かい側へ渡る跨線橋がありましたので橋の上から駅構内をのぞいてみました。
 ホームには釜石行きの方向幕を出したまま停車している三陸鉄道の車両が停まっていました。エンジンさえかかればいつでも動き出しそうですが、この駅から再び釜石行きの列車が走りだすまでには、もうしばらく時間がかかりそうです。この駅には三陸鉄道の車庫もあり、南リアス線の列車運用の要になっているようですが、三陸鉄道には他に北リアス線(宮古~久慈)もあります。車両のやりくりとか大丈夫なんでしょうか?
 一方、JRの車両は1台もありませんでした。どうも、早々に運び出したそうです。
DSCN0242_convert_20120422012542.jpg
 実は盛駅にはもう1つ、鉄道が接続しています。それは岩手開発鉄道。1992年まで旅客輸送を行っていた鉄道で、現在は石灰石輸送に特化した貨物専用鉄道です。こちらも地震と津波被害を受けましたが、東日本大震災から7か月後の2011年11月7日に本格運行を再開しました。貨車には「気仙の底力」「がんばっぺし」「太平洋の復興とともに」などのメッセージが掲げられていました。
DSCN0248_convert_20120422013524.jpg
 盛町から大船渡町に移動します。小高い丘の上から大船渡町を眺めます。海に面していることもあって、津波被害をまともに受けたようで、丈夫なビルを除いて建物が無くなり更地になっていましたが、仮設の店舗が続々とできあがり、元の街の賑わいを取り戻そうとする動きを感じました。
DSCN0249_convert_20120422013657.jpg
 ちょうど、東京池袋からの夜行高速バスがやってきました。では、街中へ行ってみることにします。
DSCN0250_convert_20120422013832.jpg
 JR大船渡線大船渡駅付近。駅はおろか、線路も流されてしまっています。この辺りでも約10mの津波が押し寄せたそうです。JR大船渡線は復旧の目処が全く立っていません。
DSCN0246_convert_20120422013207.jpg
 大船渡町。大船渡市商業の中心エリアとのことですが、見る影もない状況でした。冠水防止なのか、水避けの装備がなされているのが特徴です。大船渡町では大半の道路でアスファルトも剥がれたままでした。
DSCN0254_convert_20120103161743.jpg
 大船渡市から陸前高田市へ向かう途中の風景。いつも通りの朝がやってきました。養殖イカダが整然と並ぶ先を船が港へ続々と戻ってきます。非常にのんびりとした風景に癒されました。3・11が無ければ、旅情を掻き立てられる風景なのですが、あの日からここまで復興の道を歩んだ地元の方々が平穏な朝を迎えられるようになるまでの苦労は計り知れません。

 名古屋を出発し、福島県いわき市から仙台市を経由して三陸の街々をまわり、ここ大船渡市まで北上してきました。更にこの先、釜石市や宮古市、壊滅的被害を受けた大槌町や逆に津波被害から奇跡的に逃れた野田村など、訪ねたい街はまだまだあったのですが、時間的な制約もあって大船渡で折り返すことにしました。kン会訪ねることのできなかった街も、いずれ必ず訪問したいと思っています。

テーマ:東北旅行 - ジャンル:旅行

TV局での通販番組比率
20120117004608_20120117005717.jpg
 テレビ番組で年々幅を広げているテレビショッピング。既に深夜はテレビショッピングの乱立エリアになっています。「いったい1日に何時間放送しているのか」「通販番組が多過ぎはしないか?」と感じる人も多いかと思います。そんな疑問に答えてくれた特集記事が、中日新聞2012年1月16日朝刊にありました。
 昨年3月に60年ぶりに改正された改正放送法に基づき、テレビ各局が総放送時間から教養・教育・報道・娯楽・その他、そして通販の6項目について、その放送時間の公表が義務付けられたことから、11月に7~9月分についてまとめた統計が初めて公開されました。そのうち、通販の放送時間数を全番組に対する比率で計算すると恐るべき結果が出たというのが、今回の記事です。いったい、各TV局がどの程度通販番組に依存しているのかというと、
DSCN0022_convert_20120117000710.jpg
ぎふチャン51.0%

三重テレビ26.9%

テレビ愛知13.3%

 東海地方では、この3局が群を抜いていました。ぎふチャン、ホントお見事としか言いようがありません。岐阜放送も正式に認めているようですね。
http://www.zf-web.com/media/standard/201107-09.pdf
 広域局ではCBCが結構多いんですね。CBCは伝統的に自局で通販を積極的に行っていましたからね。一方、東海テレビが少ないのは、あの忌まわしきセシウムさん事件で通販コーナーのあった「ぴーかんテレビ」が打ち切りになったのが大きいようですね。通販番組が最も少ないのはメ~テレ。意外でしたが、確かにメ~テレで通販番組を見るのは少ないですね(かつては「テレコンワールド」で深夜通販をリードした時期もありましたが)。
20120117001607_20120117002706.jpg
 ところで、三重テレビの比率を見て、「こんなに少ないはずが無い!!」と疑問に思った方がいるかと思います。なんせ、野球・競馬・テレショップが3本柱の三重テレビが、たった26.9%で収まるわけないじゃないですか。
 三重テレビもメインチャンネルだけなら、ぎふチャンと壮絶な争いをしていたはずです。しかし、通販番組比率を僅か26.9%に圧縮できた要因は「サブチャンネル」の使用が挙げられます。三重テレビは昨年7月1日より地上デジタル放送にて平日8:00~17:30の間、第2チャンネル放送(072ch)によるマルチ放送を開始し、三重テレビの総放送時間は大幅に拡大しました。第2チャンネルでは株価・ニュースを軸とした放送を行っており、三重テレビの大看板である通販番組は放送されていません。
 メインチャンネルが通販で、サブチャンネルがニュースって、放送の目的からすると本来は逆なんですが、通販番組が生命線となっている三重テレビにとって通販番組のカットは死活問題であるため、枠はそのままで通販番組比率だけを減らしていくためには最もベターな選択であったといえます。しかし、これによって三重テレビの新聞テレビ欄は非常に見にくいものになってしまいました。ただ、あまりその苦情が上がらないということは、視聴者の数が…なんでしょうね(画像は中日新聞2011年8月16日朝刊より)。
 ただ、今回51%もの占拠率だったぎふチャンも、昨年10月改編以降、深夜帯の通販番組が撤退しており、通販番組の占拠率は若干下がっているものと思われます。ただ、それが岐阜放送側の反省なのか、それとも30km先の名古屋まで電波が届かない放送局として致命的弱点を持つ岐阜放送に対して、広告媒体として通販業者から見限られたのか。その真相は分かりません。
20120117001610_20120117002706.jpg
 通販番組多い放送局といえば、BSデジタル局もすごいですね。少し前の中日新聞によれば、TwellVの49%を筆頭に、BS11が45%、BS-TBS35%、BSフジ32%、BSジャパン30%と続いているそうです(中日新聞2011年11月8日朝刊より)。BSデジタルに限っては、通販番組と韓国ドラマを除くと番組編成が成り立たない状況ですね。私は見ていませんが。
 実は今回のネタ、中日新聞では昨年11月に一部情報が報道されながら、地上波の情報が報道されなかったことから、中日新聞が2ヶ月間もネタを温存し焼き直ししていたということも判明しました。情報の焼き直しは日経グループでよく使われる手段(例:日経新聞を基に日経ビジネス(雑誌)→テレビ東京(TV)と同一情報の二次使用・三次使用を行う)ですが、同じ媒体で焼き直しを行う中日新聞、珍しい手法ですね。

テーマ:TV - ジャンル:テレビ・ラジオ

2011東北冬紀行12・気仙沼の夜
DSCN0222_convert_20120311201550.jpg
 12月27~30日にかけて訪問した東北探訪シリーズの12回目、今回は宮城県気仙沼市の夜の様子です。
 実は、今回の旅で重大なミスを犯しました。それは日没時間の読み誤り。名古屋の感覚では夕方5時頃までは大丈夫という思い込みがあったのですが、南三陸町を出発した午後4時の時点で日が沈み始め、気仙沼市に入った午後5時には完全に真っ暗になってしまいました。
 気仙沼市到着時点で予定工程を3時間遅れ。本来の予定では陸前高田市で日暮れを迎え、気仙沼で食材を買い集め、夜通しでクルマを走らせて、仙台郊外のスーパー銭湯で仮眠という予定でした。
DSCN0224_convert_20120422011541.jpg
 今回の旅の目的地・岩手県陸前高田市の奇跡の一本松まで、あと25km。ここまで来て名古屋へ戻るなんて、何のためにここまで来たのかという話になります。しかし、レンタカーの返却期限は翌朝9時に仙台市内。陸前高田市から気仙沼まで約1時間。気仙沼から仙台まで最速経路で約2時間半。日の出時刻は朝6時過ぎ、撮影できる明るさになるのは朝7時頃。どう考えても無理な工程なので、レンタカー返却時間を急遽延長することに決定しました。
 まず、気仙沼駅に着くと送迎目的のクルマがズラリ。一関からのJR大船渡線列車が着くと、一斉に利用者が迎えの車に乗り込んで行きました。地元のクルマに交じって岩手ナンバーのクルマの多いことに気づきます。
DSCN0227_convert_20120422011756.jpg
 震災の影響でJR大船渡線は一関~気仙沼間の区間運行にとどまっており、JR大船渡線の気仙沼~盛間とJR気仙沼線の気仙沼~柳津間は復旧の見込みすら立っていません。そして、列車代行バスは気仙沼線は1日4往復、大船渡線に至っては1日2往復という惨状(2011年12月28日時点)で、隣町に行くのもままならない状況でした。
 気仙沼も陸前高田・大船渡も、遥か遠い仙台や盛岡へ行くバスは1日4~6本あるのに、JR大船渡線沿いエリアでも往来が困難な状況。もともとは同じ陸前国気仙郡なのですが、やはり県境によって引き裂かれた現実なのでしょうか。
 気仙沼駅発、本吉駅前行きJR気仙沼線代行バス最終便の出発を見送りました。JRの振替輸送になっておらず、運賃は地元バス会社ミヤコーバスの運賃体系になっているため、JR線に比べ非常に割高な運賃になっています。
2012042400481829.jpg
 ただ、車中泊だけは予定通りでしたので、予定通り気仙沼市内のスーパーを数軒ハシゴして食材を確保、魚売場で驚いたのはこのカレイの山。三陸から仙台辺りにかけての地域では、カレイが正月に欠かせない定番料理なのだそうです。
 地元ではナメタガレイと呼ばれるのですが、正確には「ババガレイ」という魚。12月に北海道から南下して三陸や仙台沖にやってくる頃が産卵期で、お腹にたっぷりと卵を抱えていることから「子孫繁栄の象徴」として珍重され、酒・砂糖・醤油・みりんなどで煮つけて食べるのだそうです。
 カレイは底引き網や刺し網で取るが、三陸沿岸から仙台湾の水揚げは減少傾向にあり、現在は宮城県内でも北海道産のカレイが売られていることが多いそうですが、年末になると通常価格の3倍以上に高騰するほどの需要があり、地元では欠かせない素材なのだそうです。
 当方は宮城県産ビンチョウマグロを軸にした刺身盛りと総菜売場でごはんを調達し、即席の刺身定食を堪能。
DSCN0234_convert_20120422012029.jpg
 気仙沼市内をクルマで徘徊。気仙沼市内というと、震災の夜に市街地で火災が発生し、自衛隊機の撮影した映像に言葉を失いましたが、震災被害の大きい港近くの旧市街地に対し、郊外店舗の多い新市街地は高台にあり、津波の被害は軽重だったようです。
 しかし、噂にも聞いていましたが、パチンコ屋だけは夜も大盛況でした。被災地では震災に起因する解雇で失職したまま再就職できない人が多く、することがないからとパチンコに興じてしまい、失業保険までを軍資金に充ててしまい自暴自棄になっている人もいるといいます。泥の書き出しや瓦礫撤去に参加するボランティアに対し、パチンコに興じる人々。どちらも無収入で終日過ごすことに変わりないのですが、その内容については明らかな差があります。震災に起因する喪失感の強さから再建に踏み切れない人々をいかにサポートするか。これは難しい問題です。複雑なものを感じました。

 気仙沼市内を走り、国道45号沿いの仮眠スポットを探すも暗いところばかりで治安上の不安を感じ、結局JR気仙沼駅前の有料駐車場に飛び込んで就寝。しかし、未明から雪が降りだす悪天候。寒さで目が覚め、時折暖房をかけながら仮眠し、朝を待ちました。

テーマ:東北旅行 - ジャンル:旅行

2011東北冬紀行11・宮城県南三陸町
DSCN0183_convert_20120406092641.jpg
 12月27~30日にかけて訪問した東北探訪シリーズの11回目です。
 今回は、宮城県南三陸町志津川の模様です。
DSCN0152_convert_20120406093006.jpg
 石巻から三陸自動車道と国道45号線を経て、柳津町経由で南三陸町に入りました。途中は山間部の様な風景が続きましたが、峠を越えて南三陸町に入ると一気に視界が開け三陸海岸に来たのだということがよく分かりました。
 この辺り、まだ南三陸町中心部まで数kmあるのですが、既に津波被害で国道45号線の両サイドやJR気仙沼線の線路は流されてしまっています。リアス式海岸であるため、湾に入り込んだ津波が集約され、湾の最奥にある街を一気に襲ったため、海岸から離れた内陸部まで津波被害が出ているのです。
 しかし、これは南三陸町の被害状況を把握する序章に過ぎませんでした。
DSCN0164_convert_20120406093149.jpg
 南三陸町の中心・志津川地区に入ると、被害の大きさに言葉を失いました。JR気仙沼線の高架橋もズダズダに破壊され流されてしまっています。
DSCN0166_convert_20120406093301.jpg
 頑丈なビルだけを残し、街の建物という建物すべてが流されてしまっています。瓦礫の片付けは終了していますが、その跡には荒涼とした風景が広がっていました。画像のビルも3階までは完全に水没したそうです。ビルの奥には行き先を失った瓦礫の山が残されています。
DSCN0184_convert_20120406093606.jpg
 街を望む高いビルを探すも、津波による損傷や私有地ということもあって立入ることのできるビルなんて無く、時間の都合で山へ登ることもできずに困っていると、JR気仙沼線がこのエリアでは高架になっていることを思い出したので、駅へ行ってみることにしました。
 カーナビを頼りにJR志津川駅へ向かいます。カーナビは、この先に志津川駅があることを教えてくれていますが、その先に広がっていた風景は…。
DSCN0186_convert_20120406093719.jpg
 駅らしい建物は見当たりませんでした。広いスペースがここに駅があったことを教えてくれました。駅があった場所にはコンクリート製の枕木が積み上げられていました。柵も無く、立ち入り禁止の看板も無いので、ホームに上がってみることにしました。
DSCN0182_convert_20120406093825.jpg
 志津川駅ホーム上から気仙沼方面を望む。津波は高架だったホームを軽々と越えて更に山側の地域にも襲いかかったのが分かります。ホームから見た志津川の街に息を飲みました。それが冒頭の画像です。津波でビルの4階まで冠水し、木造の建物など低層の建物は無くなっていました。瓦礫は片付けられていますが、それは逆に街の被害が甚大であったことを伝えています。
 JR気仙沼線のレールは既に剥され、線路があった場所は整地されていました。JR東日本はJR気仙沼線の被害状況が甚大であることから、鉄道線としての復旧を諦め、線路跡地をバス専用道路としてBRTと呼ばれるバスシステムを導入する方針であることを発表しています。
 志津川に限らず、三陸地方の街では明治時代から100年にも渡る鉄道建設運動を展開し、志津川では昭和50年代になって、ようやく鉄道がやって来たのです。今回の被害は甚大でしたが、鉄道の無い街に戻ることによる南三陸町民の落胆は大きいことでしょう。この件については別の機会でしっかり考えを書いてみたいと思います。
DSCN0169_convert_20120311202004.jpg
 南三陸町といえば、今回の震災被害を象徴する建物となってしまった南三陸町防災総合庁舎を見逃すことはできませんので早速行ってみました。
 本来、南三陸町の防災拠点として街の人を守る重要な役割を果たすはずだったこの建物。しかし、その建物も津波でほぼ完全に水没してしまいました。しかし、この建物の3階では津波に襲われるその時まで、南三陸町の職員が自身に津波の危険が迫っても、決して避難することは無く最後の最後まで町民の安全の為に防災無線を通じて避難を呼びかけ続けていたそうです。この放送で救われた人もきっといたことでしょう。犠牲となられた町職員の方には、本当に頭が下がるばかりです。私も手を合わせてきました。
 すると、観光バスがやってきて、ジャージ姿の高校生が降りてきました。よく見ると「広島観音高校サッカー部」と書いてあります。冬休みの合宿・練習試合の帰りに寄り道したのでしょう。生徒が自主的に手を合わせ、先生が生徒を集めて、ここでの出来事について説明を始めました。素晴らしい教育だと思います。やはり、現地を実際に訪れて現場を見ないと、この震災被害の大きさは分からないのです。今年は修学旅行を東北地方に変更する学校も増えているそうです。教室では分からない生きた教科書がここにあります。
DSCN0179_convert_20120406094108.jpg
 この脇で柳津行きのJR気仙沼線代替バスを発見。「ミヤコーバス」と書いてありますが、このバス、どこかで見たことがあります。これ、岐阜県にある東濃鉄道のバスで、JR東海バスから移籍してきた笠原車庫所属のバスじゃないですか。一発で分かりました。
 津波被害によって東北地方の沿岸部ではバスが冠水し運行不能となり、一時は公共交通が完全に麻痺してしまいました。宮城県内では運行可能なバスの台数が不足したことから、ミヤコーバスと親会社・宮城交通が資本関係にある名鉄に要請、名鉄グループのバス会社が協力し、震災直後に宮城交通とミヤコーバスにバスを派遣して地域住民の輸送に貢献していたのです。まさか、ここで馴染みのあるバスに再会できるとは思いませんでした。
DSCN0187_convert_20120406094214.jpg
 最大で15mもの津波が襲った南三陸町。だから、3階建てのマンションの屋上にクルマが止まっているありえないような光景が見られるわけです。
 甚大な被害を受けながらも、地元で暮らしたいという方が多いのは救いです。南三陸町では復興をもじった「福興市」なる仮設商店街も完成し、賑わいを取り戻そうと頑張っておられました。

テーマ:東北旅行 - ジャンル:旅行

2011東北冬紀行10・石巻市街
DSCN0110_convert_20120406091309.jpg
 12月27~30日にかけて訪問した東北探訪シリーズの10回目、今回は宮城県石巻市街地の模様です。
 石巻市は人口16万人、漁業が非常に盛んな宮城県第2の都市です。石巻市は宮城県出身の漫画家・石ノ森章太郎の協力を得て、マンガを活かした創造性ある街造りに取り組んでいます。その一環として、石ノ森萬画館の最寄り駅であるJR石巻駅から石巻市の駅前商店街を経て石ノ森萬画館までの道を「マンガロード」と銘打って、石ノ森章太郎作品のキャラクターモニュメントを19体を見ることができます。やはり、石ノ森作品といえば「仮面ライダー」ですよね。ただ、商店街はシャッターが下りており、津波被害を受けて休業状態の店舗も見られました。
 石ノ森萬画館は北上川の中州にあり、こちらも津波被害を受け1階の施設やグッズ売り場はすべて流されてしまったものの、1960年のチリ地震津波被害を前提に設計されていたこともあって建物の倒壊は免れ、2階以上に展示してあった石ノ森章太郎の遺稿は無事だったそうです。訪問当時は休館中でした。
DSCN0112_convert_20120406091519.jpg
 クルマを石巻港方面に走らせます。せっかくだから、昼食は魚でもって思っていたのですが、石巻の街でもこのような風景が続くと、その食欲は自然と失われてきました。
DSCN0113_convert_20120406091657.jpg
 石巻港に入ります。石巻魚市場付近。この辺りは地震による地盤沈下と津波より壊滅的な被害を受けていました。地盤沈下してしまったため、道路部分に砂利を敷いて嵩上げし走行できるようになっていましたが、ダートですので砂埃が立つ状況で水たまりなどもあって下手に脇見すると脱輪なんてこともありますので、慎重に走ってきました。
 石巻は「金華サバ」のブランドで知られる真サバをはじめとする漁業や水産加工業が盛んな街でしたが、震災の影響で2011年の水揚げ量は例年の9割減という状態だったそうです。三陸沖で操業していたた漁船団も石巻での水揚げを諦め、青森県八戸や千葉県銚子へ変更しているとか。魚市場がこの状況では、その理由も何となく分かります。港が復旧しないから魚が揚がらない。魚が揚がらなければ加工できない。加工できねば出荷できない。出荷できねば売上や収入が無い。したがって、雇用も生まれない。つまり、港に魚が来ないことには地域経済が動かず、何ともならない負のスパイラルが延々続くのです。

DSCN0132_convert_20120311192845_20120406093419.jpg

 石巻港臨海道路をしばらく走ると、中央の巨大タンクが現れました。決してモニュメントではありません。このタンクは津波によって工場から流出してきたタンクです。「鯨大和煮」と書かれた、この巨大なタンク。どうも、昨年11月まではタンクが道路にはみ出し通行の支障なっていたので、ボランティア等の協力を得て道路にはみ出していたタンクを中央分離帯に移動したそうです。このタンクを撤去するかどうかはまだ決まっていないそうですが、「震災の象徴でもあり保存したいが『恐怖がよみがえる』という話もあり、所有していた水産加工業者が300メートル離れた会社敷地内に運ぶ予定」とのことです。
 この先の橋を渡ると、水産業地帯から、工業地帯にガラリと変わりわります。
DSCN0136_convert_20120406091855.jpg
 橋を渡り終えると、道路の両サイドにクルマの山。どうも、津波被害によって廃車処分されたクルマがあまりにも多すぎることから、こちらに堆く積まれているようです。更に前方奥には瓦礫の山が聳えています。石巻市では市全域の40%以上が津波被害を受けたことから瓦礫の量が非常に多く、その処分には10年以上かかるといわれています。
 被災地の瓦礫をいかにして焼却処分するかが問題になっています。被災地では100年分の瓦礫が発生してしまい、その処理には数十年かかるという説も浮上しています。一方、その震災瓦礫に対して全国各地で分担すべきという意見と、残留放射能を気にする反対派が激しい論戦を行っています。
 しかし、東京都や静岡県島田市が瓦礫焼却に理解を示し、この動きが全国に波及しようとしています。私は個人的に関東地区の自治体を軸に分散させるべきだと思います。特に震災で問題が浮き彫りになった関東地方は福島第一原発など、東北で発電した電力を享受する受益地であることや、季節風の関係で陸地に焼却時の煙が飛びにくいことから、焼却立地が良いためです。逆に貨物列車や船舶で九州や四国まで瓦礫を運ぶのは逆に非効率で輸送コストばかりかかることから、適切ではないと思っています。
 東日本大震災。これは国難です。だから、各自治体がエゴを主張するのではなく、全国の自治体が受け入れを表明し、少しでも早く瓦礫処理が終わるように手を差し伸べるべきなのです。
DSCN0137_convert_20120406091949.jpg

テーマ:東北旅行 - ジャンル:旅行

「教育」か「暴力」か
20120111003805_20120111012144.jpg
 戸塚ヨットスクール、既に過去のモノと思いがちの存在ですが、現在も愛知県知多半島南部の美浜町で若者を中心としたフリースクールとして存在しています その「戸塚ヨットスクール」で、生徒の自殺事故が相次いでいるそうです。
 戸塚ヨットスクールと言えば、校長である戸塚宏氏が自身のヨット競技大会の実績から、オリンピック級のヨットマンを育てるためのジュニアヨットスクールとして開校したものの、たまたま紛れていた登校拒否の子が訓練を通じて己を養い学校へ復帰したことから、スパルタ式指導による情緒障害児や非行少年の更正施設として1970年代末から1980年代にかけて話題になりながらも、その陰で訓練中に体罰が原因で生徒が死亡したり、訓練中に生徒が海で行方不明になる、いわゆる「戸塚ヨットスクール事件」の存在が浮き彫りとなり大きな社会問題となりました。
 傷害致死の疑いで校長の戸塚宏氏以下コーチなど関係者が逮捕・起訴され、長年に及ぶ裁判の末、有罪判決を受けて収監されたものの、戸塚氏は刑期満了で出所しスクールの現場に復帰しています(画像は「中日新聞」2011年1月10日朝刊より)。

 戸塚ヨットスクールを考えるにおいて重要なテーマは「これが教育か、暴力か」という点です。
 昔、教員を志したことがありまして、その頃に戸塚氏の著書を読んだことがあります。戸塚氏は「脳幹論」という理論に基づき生徒の指導を行っているそうです。その「脳幹論」とは、「青少年の問題行動は、脳幹の機能低下により引き起こされる」という考えで、戸塚氏は「アトピーや喘息・登校拒否・癌なども、脳幹を鍛えることによって克服できる」と主張しています。しかし、これは医学や脳科学などに基づいた根拠や裏づけの存在は明らかでなく、また第三者による客観的・科学的な検証も不十分である、早い話が「精神論」なんです。
 確かに精神を養えば、多少のいじめは克服できるでしょう。要は周りに流されず、「自分は自分」と居直れる根性を持てば、だいたいの事は何とかなります。ただ、その養成段階で体罰を用いる行為には私も疑問を持っています。そして、生徒も黙って体罰を受けているのも疑問です。おそらく、生徒は抵抗できないような姿勢で体罰を受けていることでしょう。抵抗すれば、個々のコーチ陣が格闘家(あるいはその経験者)でもない限り、ある程度は防衛できるはずですから。でも、こんな指導で生徒は一体何を得るのでしょうか。
 根本的に疑問なのは、ヨットの操作はおろか、水泳もまともにできない生徒をいきなり海で実地教育する強引な手法、生徒がミスを犯すとすぐに指導という名の体罰である点。卒業判定は戸塚氏の独断により、生徒の意向は一切考慮しないという、「始めに体罰ありき」で進むカリキュラムが非常に大きな問題だと思います。
 私は戸塚氏の言う脳幹論は体罰で受けた傷とスクールへの憎しみ、更にはスクールに放り込んだ両親への恨みしか残さない気がします。

 そもそも、我が子を他者に鍛え直してもらわねばならない、人一人まともに育てられない親の教育能力の低下が原因である気がします。もう、モノづくりの時代で無く、再び人間づくりの時代に入っていると思います。もっと、親が頑張らないと。子どもの無念が聞こえてきそうです。今回の指導で本当に体罰はあったのか、それとも…。
 悪い事ばかりすると○○の少年院か戸塚ヨットスクールに放り込むぞ!って、子どもの頃オカンが言っていたことをつい思い出してしまいました。20~30年以上前のことです。

テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース

2011東北冬紀行9・東松島市
DSCN0097_convert_20120311192706.jpg
 12月27~30日にかけて訪問した東北探訪シリーズの9回目です。日本三景の松島は被害が軽重でしたが、松島湾の外海(太平洋)寄りは大きな被害を受けているというので、松島からクルマで東松島市内に向かいました。
 JR仙石線野蒜(のびる)駅。この辺りは海水浴場があり、夏場は海水浴客でにぎわうエリアだそうです。しかし、観光客を迎え入れる状況ではありません。線路内で山のようになっていたがれきは撤去されていましたが、線路が砂に埋もれており、被災直後から線路には手がつけられていないということが分かります。
 東日本大震災が発生した2011年3月11日午後2時46分、定刻通りに野蒜駅を出発した上下2本の電車は、発車直後に発生した大地震に巻き込まれ明暗を分けます。下り(石巻行き)電車は丘の上で停止、電車に駆け寄った地元住民のアドバイスに従って乗客は車内にとどまり無事。一方、上り(あおば通行き)電車は災害時に緊急停止した場合に乗務員は最寄りの指定避難所などに乗客を誘導するJR東日本の内規に従い、乗客を近くの避難所に誘導するも、その避難所が津波に襲われ犠牲者を出してしまったそうです。
DSCN0099_convert_20120402234335.jpg
 野蒜駅には津波による残骸がまだ残されていました。柱がポッキリ折れてしまった道路標識や頑丈そうな柱がグニャっと折れ曲がっています。津波の威力がいかに大きかったかを教えてくれます。
DSCN0103_convert_20120402234731.jpg
 野蒜駅舎自体は一見被害が少ないように見えますが、津波によって1階の窓ガラスは割れ、中の壁もぶち抜かれていました。隣のコンビニも店舗が破損したままになっていました。
 野蒜駅を含む、高城町駅(松島町)~陸前小野駅(東松島市)間は線路流出など被害が大きいため復旧の目処が立たず、JR東日本仙台支社は2012年(平成24年)1月にこの区間の一部を内陸移設などによって、2015年(平成27年)度までに全線復旧させる方針を発表しました。この区間の復旧工事の費用は100億円超という膨大なものですがで、2013年(平成25年)度中に着工、野蒜駅は震災前よりも500メートル程度内陸に移設されるとのことです。
 駅の周りには早期復旧を願うノボリが掲げられており、沿線住民の鉄道復活と地域の復興を目指す強い意志を感じることができました。画像では分かりませんが、駅舎中央に時計があって、午後2時46分を指したまま止まっているのが印象に残っています。
DSCN0105_convert_20120402235001.jpg
 東松島市野蒜、石巻湾に注ぐ鳴瀬川河口にある消防署の分所でしょうか。津波の爪痕がハッキリ残っています。本来、救助に駆けつけねばならない緊急車両は津波で流されてしまったのでしょうか。
DSCN0106_convert_20120403002232.jpg
 鳴瀬川を渡り、国道45線を石巻方面に走ると、JR仙石線はバラストも交換され整備されていました。こちらの石巻側は昨年7月16日に矢本駅~石巻駅間の営業が再開されましたが、電化設備が復旧していないことなどから、電車を走らせることができないため、気動車による運行が行われているそうです。それでは、石巻に向かいます(続く)。

テーマ:東北旅行 - ジャンル:旅行

2011東北冬紀行8・日本三景松島
DSCN0090_convert_20120330112421.jpg
 12月27~30日にかけて訪問した東北探訪シリーズの8回目。今回は日本三景の一つ、松島の模様です。ここは松島湾に浮かぶ島々が防波堤代わりとなったものの、それでも1mほどの津波が襲い大きな被害を出したそうです。
 松島町民やボランティアの懸命な復旧作業の結果、被災後2ヶ月が経過した頃には観光客を再び迎える準備が整ったものの、被災地を含む東北地方全域への観光を自粛する動きが加速し、福島第一原発事故の影響もあって風評被害を受けてしまいました。売店の方にお話を聞くと、お客さんの数は例年の半分以下だったとか。街中には観光客の姿もありましたが、やはり少なかったです。でも、松島湾遊覧船も運航を再開し、松島湾ではカキ養殖も再開しているそうです。
 観光地・松島は復旧しています。ぜひ、遊びに行ってください。
DSCN0088_convert_20120311192535.jpg
 クルマを走らせ、山の上にある展望台へ向かいます。
「松島や、ああ松島や松島や。」
 天気はイマイチでしたが、良い景色です。これだけ見ていると、あの震災がウソのようです。
DSCN0086_convert_20120330112639.jpg
 しかし、震災の爪痕は展望台の真下に広がっていました。
DSCN0093_convert_20120330114409.jpg
 クルマを石巻方面に走らせます。すると、JR仙石線の列車代行バスのポールが。仙石線ではJR東日本によって列車代行バスが運行されており、乗車券や青春18きっぷでも利用可能です。では、この陸前富山駅の様子を見に行きますと、
DSCN0094_convert_20120330114546.jpg
 津波被害を受けているのがよく分かります(陸前富山駅から石巻方面を望む)。
DSCN0095_convert_20120330115052.jpg
 家屋の1階が破損しているところを見ると、2m近い津波が押し寄せたことが分かります(陸前富山駅から仙台方面を望む)。
DSCN0096_convert_20120330115417.jpg
 先ほど、松島は復旧したと述べました。しかし、それは観光地松島の一帯だけの話で、松島中心部から少し外れると津波被害の爪痕が随所で見られました(陸前富山駅から松島湾方面を望む)。
 では、松島湾の外側に位置するエリアはどうなっているのか、クルマを更に進めて東松島市内へ向かいます(続く)。

テーマ:東北旅行 - ジャンル:旅行