 朝、駅のキオスクで突飛な紙面を見つけました。1面がこの紙面。どこの新聞かと思えば、岐阜新聞でした。
地方の新聞(地方紙)は時々、突飛な企画を打ち立てることがあります。この地域ですと紙面のカラー印刷に長けている「岐阜新聞」が良く仕掛けるのですが、その岐阜新聞が8月27日から9月2日までの紙面で私の暮らす岐阜県の東濃地域の魅力と現状を集中して特集するのだそうです。
岐阜市から見ると、同じ岐阜県でも東濃地方はあさっての方角であり、明治時代初頭に岐阜県が誕生して150年が経過しましたが、岐阜市中心の行政では東濃地方はいまだに「化外の地」扱い。同じ岐阜県でも地域事情を知らない人が多いかと思います。
 最近でこそ、土岐市のアウトレットモールで有名になりましたが他に目立った観光地もないし、同じ岐阜県でも岐阜市・大垣市からの往来も県の職員など一部を除くと基本的はない地域です。東濃地方の人も岐阜市よりは名古屋市の方が近いので、文化圏は愛知県の影響が非常に強い地域です。何かあれば名古屋へ行きます。私も職場が名古屋です。新聞も中日新聞が圧倒的なシェアで、岐阜新聞は図書館や喫茶店で読むモノといったイメージでしかない人の方が多いです。
 この突飛な1面をめくると、いつもの1面が広がっていました。しかし、東濃特集だけあって、JR東海の初代社長の須田寛氏が東濃の魅力を語っています。須田さん、お年を取られましたね。須田さんの頃のJR東海は、新幹線に限らず在来線の末端までも刻々と鉄道が発展していくのが手に取るようにわかる良い時代でした。 この人の話が面白いのは、話に夢があること。そして、その表現が非常に優れていることなんですよね。単なる回顧主義や理想主義者ではなく、話す内容が現実的で「ホントに実現するかもしれない」って思わせるところが魅力です。 その次の社長があまりにも残念な方で長い間暗黒時代でしたが、旧ソビエトのような硬直したJR東海も柘植社長辺りから再び須田さんの頃のような方向性を少しずつ採用するようになってきました。時間をかけてでも、取り戻してほしいです。
 話を戻します。実は今回の特集記事で非常に気になったことは須田寛さんやJR東海の話ではなく、1面を覆っていた岐阜県東濃地方の特集紙面です。この紙面に目線を戻すと、複雑な思いがしてきました。 このような地域特集の紙面は岐阜新聞に限らず、中日新聞でも時折見かけます。多くの場合は観光を目的としており、その地域の有力企業や観光施設がこぞって広告を打つのですが、東濃の特集紙面では異様な光景が広がっていました。
 紙面の下側には
「チカラは地カラ@東濃」
というタイトルの下、東濃地方の名だたる企業や観光施設が名を連ねています。東濃の人なら誰でも良く知っている企業ばかりです。しかし、お気づきになりましたか?東濃地方で最も有名でかつ最も広告出稿の多い、あの企業が広告を打っていないことを。単なる偶然と思いがちですが、この予想は当たっているかも思ったのが、この紙面の上部に掲載された記事を見ると予想が確信になってしまうのです。

その記事のタイトルは 「東濃地域5市長インタビュー」 左から中津川・恵那・瑞浪・土岐・多治見と各市の市長が地元自慢や街のこれからを語っています。
 その中で一人異彩を放つ発言をしている市長がいました。多治見市長です。
 「今は東美濃ナンバーに象徴されるように、6市1町が一緒になって都会に向けて発信していくことが大切。」 これまで紙面が「東濃」一色だったところへ、一人だけ地域名称を「東美濃」として論理展開しているのです。このコメントは異様でした。
東濃でも名だたる企業の一部がそろって出稿を見合わせたのはこの地域特集が「東美濃」特集ではなく、「東濃」特集だったためではないかなと。そして、多治見市長だけが「東濃」特集で展開した「東美濃」。 岐阜新聞の特集紙面を舞台に東美濃ナンバーを源とする「東濃」VS「東美濃」の代理戦争が巻き起こっていたのを感じ、大変複雑な思いがしたのでした。ここまで東美濃ナンバー問題が影響していたとは!本当に根深い問題になってしまいました。早く決着をつけてほしいものです。
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