名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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名古屋の旧町名復活運動
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 名古屋市内で昭和41年の住居表示変更で消えてしまった江戸時代から続いた伝統的な旧地名について、復活運動が広がろうとしていることが明らかになりました(画像は2012年3月8日中日新聞朝刊より)。この話題については、数日前の中日新聞市民版で名古屋市会議員の方が市議会の質問事項として取り上げるという報道がなされていたので注目していたのですが、その背景にはこの運動があったわけですね。

 名古屋の地名表示が非常に大雑把な区域設定をしているため、住居表示と通称エリア名が一致しない地域がいくつもあります。例えば中区栄1丁目は、栄から遥か西の納屋橋の辺りを指します。あの辺りは一般的には栄とは言いません。そのため、名古屋の特に都心部では現在でも通称で呼ばれているエリアがあります。代表的なのが松坂屋のある矢場町や、繊維問屋の並ぶ長者町、飲み屋街の住吉町などです。かつての名古屋には、現在の京都市内の様に城下町らしく渋い地名が入り組んでいました。
 しかし、郵便配達の効率化などの理由で、栄・錦・丸の内など、旧町名は区域を統合された上に消滅してしまい、現在は通りの名称や交差点名、バス停の名称などで残っている程度です。でも、素朴な疑問として、郵便配達の効率化だけでここまで破壊するものでしょうか?まるで郵便配達の方をバカにしている感じです。確かに最近の郵便局はアルバイトに配達させるケースも多く誤配も増えたと聞きますが、郵便配達の方の記憶力って結構すごいもので、当時の職人レベルとなれば難なく配達できたことでしょう。

 実際の理由は別にあると思います。戦争で焦土と化した名古屋市は、戦後に100m道路に代表される強引な都市計画を多くの市民の立ち退きや移転という犠牲を持って断行し、碁盤の目の様な道路網を整備しました。新しい街区を構築したのに地名は昔のままでは不釣り合いである、この判断が江戸時代以来の歴史ある旧町名との決別を決め、過去帳に葬り去るきっかけとなったのが正直なところで、要は行政による「名誉主義」だったんじゃないかと思います。名古屋の街は歴史や伝統の蓄積を否定し、破壊に次ぐ破壊を繰り返して無機質で人工的な街になったとも言えます。こういう部分にも文化不毛の地の一端を見ることができます。

 いつも聞いている東海ラジオ「モルゲン!!」でも、この話題についてリスナーからの意見を紹介していましたが、反対意見が多いのは驚きでした。私、逆に個人的には賛成です。既に定着しているからという声も多いですが、その定着した地名は50年弱の歴史があれど、それ以上の歴史を持った旧町名の犠牲の上に成り立っていることを思えば、反論の根拠は薄い気がします。
 町名が変われば、役所関係では登録や土地の登記、住所を表示している印刷物を全て直さねばならず、その費用も大きいので理解を得られないという説もありますが、この国はテレビの地デジ切り替えを強引にも押し切った前例もありますので、その程度のことは意外と簡単な気がします。逆に印刷業界などは特需になるかも?
 番組で興味深かったのは、「じゃ、今池は馬池(昭和初期まで地名)に戻るのか」という意見が紹介されていましたが、これは完全に見解の誤りで、今回対象となる旧町名とは現在の中区と東区のJR中央線より西の江戸時代からの街限定の話であり、当時は純農村で都市化は昭和に入ってから進められた千種区は該当しないわけです。

 地名というのは、その地域の歴史や土地の特徴を示す最も重要なものです。代表的なのが旧町名「蒲焼町」。現在の錦3丁目なんだそうです。渋いですね。あの辺りは昔も今もお客さんをもてなす街だったわけですね。やはり、地名はその地域の由来を示しているのだと思います。
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テーマ:名古屋・愛知 - ジャンル:地域情報

この記事に対するコメント

現役郵便屋の私の証言。確かに住居表示実施済みのところは数字が揃っているので覚えやすいらしいのですが、じゃあ未実施のところは覚えにくいかと言うと、そんなことはありません。数こなせばそれなりに覚えられます。ちなみに私の住んでいる市は住居表示を実施しているところなんか3か所しかありません。
【2012/03/09 06:44】 URL | 八楽 #ze7WGCEs [ 編集]

「主計町」と書いて何と読む?
私も、今回の件について賛同します。

旧町名の復活といえば、金沢とか長崎がその先輩格にあたるでしょうけど、金沢の復活した町名としては「飛梅
町」とか「柿木畠」(かきのきばたけ)といった名前がありますし、昔あった名前(まだ復活していない町名)としては「板前町」とか「五十人町」、「象眼町」(ぞうがねまち)、「大豆田町」(まめだまち)といったものがあります。今の○○△丁目△番△号といった無味乾燥な名前に比べれば何とも味わい深い名前だと思います。因みに「主計町」は「かずえまち」と読みます。
そうして見ると、京都という町は他の都市に比べると歴史の長さが格段に違うでしょうし、加えてそこに住む人達の力が強かった事でしょうから昔の町名が今でも残っているのだと思います。
今回の旧町名復活運動については、河村市長もかなり乗り気ですから上手くいくといいですね。

尚、名古屋中心部で未だに旧町名が残っている地域があります。
北は錦通、南は広小路通、西は久屋大通、そして東は空港線に囲まれた一帯。ここは中区と東区との境目がまるで鋸の歯のようにギザギザに入り組んだ場所ですが、東区の側に久屋町・武平町・西新町・東新町、中区の側には新栄1丁目~3丁目があります。このあたりは運良く旧町名のまま生き残ったのでしょう。昔はもっと広かったのでしょうが。
【2012/03/10 22:51】 URL | massan #t2LN9IJ6 [ 編集]

京都との違い
名古屋の旧町名ですけど、明治維新でそれまで町名が無かった土地(武家地・寺社領地など)に新たに名称を付与したり(地租改正が理由ですね)、或いは複数の町が合併して新たな町になったりで、昭和41年に廃止された町名は必ずしも江戸時代からの町名ばかりではなさそうです。
それでも明治初期からですので、ざっと100年の歴史はあったわけですね。

上のコメントで京都市の例がありますけど、町衆の強さはかなりなものですね。
京都市で町名変更が出来ないのはその理由もありますけど、もう一つ、あの京都独特の「上る・下る」の所表記。
これのお陰で、町名は分らずともその場所へ辿りつけます。
郵便の面からはむしろ、現在の7ケタ郵便番号の方が複雑です。 
江戸時代や明治でも初めの頃では、名古屋や大阪でも「上る・下る」の所表記があったらしく、昔は京都だけの表記方ではなかったらしいです。

それと京都市では区の下に「元学区」という、今では単に地域的なまとまりがありますけど、その名の通り元は学区で、町衆の自力で小学校を建てた程の結束力、今でも元学区のまとまりは強いものです。
そんな京都でも明治の初期には、町の編入や複数の町が合併して新たな町ができるなどしています。
それら編入や合併は、比較的多い地域と全く行われていない地域とがあり、町の事情か何かがそうさせたのか?などと想像しています。

ところで主計町は京都市にもありますよ。「しゅけいちょう」です。
上京区にあり元学区が中立学区。東堀川通一条下るです。
【2012/03/12 12:48】 URL | kisomitake #nwhvIVzA [ 編集]

住居表示と配達の関係
>八楽さん
>現役郵便屋の私の証言。
>数こなせばそれなりに覚えられます。
 大昔、年賀状配達のバイトをしたことがありますが、その郵便局には配達工程(道順)や家族構成・ポストの位置などのデータを長年蓄積しており、ややこしい大字地域でも対応できるようになっており、驚いたことがあります。某社のメール便ではこのような蓄積が無いようで、現在でも配達不能で返送されるケースが多いとか。

 都市部なら街区も限られているので良いですが、問題は田舎の大字地域です。例えば、タクシーを電話配車する時は住所を伝えてもタクシー会社が把握しできないことが多く、タクシー会社が住宅地図を開いて場所を確認するなどの作業を行うため、配車が遅れることがざらにあります。大字地域には通称地名がある地域も多いですが、これは地元の人しか分からないため、あまり役に立たないのが現状です。
 タクシーならまだいいですが、更に困るのは緊急時の対応です。火事なら消防車は煙のある方向に向かっていけばいいだけですが、救急車の場合は場所の把握で時間がかかり初動態勢が遅れるケースも考えられます。したがって、大字地域の住居表示については、行政主導で通称地名に切り替えるなどの対応を考えるべきだと思います。
【2012/03/18 16:04】 URL | 広隆堂(こうりゅうどう) #- [ 編集]

旧町名復活のカギは…
>massanさん
>今回の旧町名復活運動については、河村市長もかなり乗り気ですから
 市議会でこの話を出したのが減税日本の議員だったというのもあるようですが、名古屋の殿様も一定の理解は示しているようですね。先日も中日新聞市民版で旧町名のシンポジウムを開いたそうですが、参加者数はわずかだったようで、この話題があまり関心を引いていない気がしました。

>kisomitakeさん
>昭和41年に廃止された町名は必ずしも江戸時代からの町名ばかりではなさそうです。
 そうですね。一部誤解を招く表現をしていました。すみません。江戸時代の名古屋は現在の中区南部、大須と金山の間で街が途切れておりました。中区南部は寺領地が多く、大須では万松寺の寺領地は大正時代になって開放しているようです。

>江戸時代や明治でも初めの頃では、名古屋や大阪でも「上る・下る」の所表記があったらしく
 そうらしいですね。文献を見ると名古屋の住所表記も京都に似た表示だったエリアがあったようです。

>京都市では区の下に「元学区」という、今では単に地域的なまとまりがありますけど、
>その名の通り元は学区で、町衆の自力で小学校を建てた程の結束力、今でも元学区の
>まとまりは強いものです。
 京都は中心部でもある程度人口があって、強固な地域コミュニティが生きているのが特徴ですね。一方、名古屋に限らず、東京・大阪もそうですが、都心の極心部に暮らしている人が極端に少なく、地域コミュニティが崩壊している地域もあります。
 今回、旧町名への変更を求める動きについても、名古屋の該当エリアはオフィス街や繁華街であって、そこに暮らす人が極端に少ないだけに、この動きが今後拡大するかについては、お上を揺り動かすほどのエリア内住民のパワーがあるかどうかで決まる気がします。
【2012/03/30 23:29】 URL | 広隆堂@管理人 #- [ 編集]


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