名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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2011東北冬紀行15・奇跡の一本松
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 12月27~30日にかけての東北レポート第15弾、今回は岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の模様です。
 12月30日朝7時15分、名古屋から北上すること約800km。ついに今回の旅の目的地である、陸前高田市の奇跡の一本松にたどり着きました。
 国道45号線沿いに道の駅があるのでそこへ駐車してなどと思っていましたが、道の駅も津波で全壊し休業中で駐車不可。高田松原交差点から正攻法で行こうとするも通行止めの看板。12月30日ですので潜入しても良さそうですが、瓦礫の山を前にこのルートからのアプローチを諦めました。しかし、何としてもあの木の下に行きたい。そう思い、別ルートよりアプローチをかけることにしました。
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 国道45号本線上に路駐するのはあまりにも不謹慎なので悩んでいると、ここから少し気仙沼寄りの気仙大橋手前で気仙川河口へ向かう側道を発見。一本松へのアプローチを掴みました。
 これまた津波で全壊している陸前高田市浄化センター前にクルマを止めると、瓦礫の山の向こうに奇跡の一本松を見つけました。しかし、浄化センターや瓦礫の山を越える勇気はありません。側道を気仙川堤防まで進むと、奇跡の一本松までの障害物が一切無くなりました。ここから一本松までの間は人が歩いた跡がありましたので、これがメインルートだったのでしょう。看板もロープも何もありませんでしたので、この先は自己責任で進みます。浄化センターから大きく高田松原をの南のはずれを「C」の字型に大回りすること約10分。最後に小さな橋を渡ると、今回の旅のゴールが見えてきました。
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 2011年12月30日朝7時30分。遂に到着しました。これが陸前高田市の奇跡の一本松です。7万分の1。2㎞も続く松原で、10m近い大津波に唯一耐えた一本松は本当に逞しく見えました。既に大量の海水を被ってしまい、葉も褐色化が進んでいます。10月の調査で海水で根が殆ど腐っており再生不可能と判断されながらも、この地で頑張っています。樹齢270年とも言われるこの一本松も、いつ倒れてしまうか分からない。それまでにこの一本松から何かメッセージを聴いておきたいと思い、ここまでやって来たのです。
 朝早かったこともあり、一本松の下には誰もいませんでした。奇跡の一本松を独り占めです。これまで福島県いわき市から海沿いの街を北上し、これまで見てきた被災地の風景が甦ります。そして、陸前高田市の様子を目の当たりにした上で、奇跡の一本松の前に立つと感慨深いものがあります。本当に良く耐えた。そして、人々にどん底から立ち上がる精神的支柱としての姿に、私もここまで引き寄せられたのです。家も家財も家族も失った被災者の方が、奇跡の一本松を見て再び立ち上がろうと決意する勇気を貰ったという話をテレビで見ました。この一本の松の木が与えた力は本当に大きな励みになったことでしょう。
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 奇跡の一本松のある高田松原は、防風・防潮を目的として江戸時代の1667年(寛文7年)、高田の豪商・菅野杢之助によって植栽が始められ、仙台藩と住民の協力によって6200本のクロマツが植えられました。その後、享保年間(1716-1736年)に松坂新右衛門による増林が行われ、クロマツとアカマツからなる合計7万本もの松林は、日本百景の一つに選定される景勝の一つとなり、白砂青松の景観は世に広く評価されていました。
 それが津波で流されてしまい、最後に残った一本松。何とか再生させようと財団法人「日本緑化センター」による手当ての跡が残されていました。塩害対策として周囲に鉄板を埋め込んだり、塩分を含んだ砂をかきだしたり、幹に補強シートを巻きつけたりするも、地盤沈下で塩分濃度の高い地下水の影響で根が腐ってしまったのだそうです。保護活動の苦悩が良く伝わります。
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 推定樹齢270年といわれる奇跡の一本松。江戸時代後半からずっとこの地で高田の街を見守っていたのです。まさか、最後の最後でこんな大災害を見るとは一本松も思っていなかったことでしょう。波に呑まれていく街、引き潮に流されていく人々に何もできなかったことを一本松はどう思っていたのでしょうか。その無力さを生き残った人々に精神的支柱として最後の力を振り絞っているのだと思うと、奇跡の一本松の前で涙が出てきました。

 ところで、なぜ奇跡の一本松は生き残ったのかという疑問が以前からありました。その理由は根が丈夫だったのと、画像左手の陸前高田ユースホステルが津波の勢いを緩める効果があったこと、更に根本よりさらに低いすぐ脇の気仙川に津波が向かったという3つの要因があるのが分かりました。
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 何とかして奇跡の一本松の一本松のDNAを継承できないか。その試みを東京の住友林業が松の苗を育成する試みを行い、18本の「奇跡の一本松」の苗の育成に成功したことを12月18日に発表しました。種による普通の栽培に限らず、挿し木、接ぎ木、組織培養などの様々な方法を試み、接ぎ木による3本のクローン苗を育成したそうです。また、種から生育した苗は既に4cmにまで伸びており、順調に行けば、これらの苗は今年の春には温室に移し、来年春には畑に移される予定だとか。約7~8年をかけて苗が30~50cmになったら、陸前高田市内に移植することができ、いつか高田松原が震災前の様な面影を回復させる日が来ることでしょう。
 しかし、高田松原が完全復活するためには、陸前高田の街が復興するよりも遥かに時間がかかります。私の代で完成した姿を見るのは困難かと思います。きっと、子や孫の世代までかかることでしょう。世代を超えて松原の復活を見守り続け、2㎞の松原が復活した時こそ、本当に震災から復興したと言えるのかもしれません。
 この奇跡の一本松からメッセージとパワーをもらった気がします。そのお礼に強い生命力に対する深い賛辞と敬服の気持ち込めて手を合わせてきました。
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 陸前高田の街を去るにあたり、もう一度気仙川の畔から陸前高田の街をバックに奇跡の一本松を眺めました。私は一本松の下でこれからも被災地の復興を見つめ、支援を続ける決意をしました。そして、仮に一人ぼっちでも強く生きていくことで、結果として世の中のどこかを支えられること、大勢に流されない自我を持ち続けることの大切さを学んだ気がします。
 この旅で忘れられない思い出ができました。ありがとう、奇跡の一本松(続く)。
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