名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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2011東北冬紀行16・宮城県気仙沼市
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 12月27~30日にかけての東北レポート第16弾、今回は宮城県気仙沼市の模様です。
 陸前高田市にある奇跡の一本松を無事に見ることができ、今回の旅も佳境に入ります。まず、レンタカー返却を兼ねて仙台へ帰還する途中で前日に日没で見られなかった気仙沼市の様子を見てきました。
 まず、気仙沼市郊外のJR鹿折唐桑駅前。駅前に大きな船が鎮座しています。駅前がすぐ港というわけではありません。
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 駅前の大通りを封鎖するように大型船が居座ってしまったわけです。船の大きさはクルマと比較していただければ分かるかと思います。
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 これだけの大型船が運ばれてくるということは、相当な波に乗らないとできないわけで、それだけ大きな津波がこの地域を襲ったことは容易に分かるかと思います。
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 津波に耐えた建物も当然壊滅的な被害を受けていました。ここで注目していただきたいのは、画像左手の幹線道路の盛り土。気仙沼市に限らず、太平洋沿岸は今回の地震で軒並み地盤沈下しました。海に近い地域ほど状況は深刻で、この地域でも50cm以上沈下しているようです。
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 気仙沼港にやってきました。気仙沼市中心部でも特に大きな被害を受けた地域です。復旧しているように見えても、やはり震災の爪痕は至る所に残っています。
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 津波を受け壊滅した港湾施設。地盤沈下により満潮時には冠水してしまうため、修繕されることもなく放置されていました。漁業・水産業の復旧が急がれていますが、港湾施設の復旧まで手が回らないのが現実の様です。あれもこれもと手を加えるとなると、天文学的な費用がかかることでしょう。それだけ被害が甚大であったということです。
 しかし、気仙沼では魚の水揚げも再開され、徐々に水産業も復活しつつあります。港にあった店舗で気仙沼名物のふかひれスープを土産にいくつか買い、後日、実家の両親に食べさせました。

 津波で流されたタンクから流出した重油に船舶の漏電で引火し、市街地の広範囲で火災が発生した気仙沼市。震災当日夜に自衛隊が撮影した映像が今も目に焼き付いています。津波で流され僅かに残った家財も火災で焼失。その悲惨さに言葉が出ません。震災から半年以上経過しても、まだ津波の跡でしょうか、池のように残っている場所をいくつも見つけました。
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 弁天町二丁目。手書きの看板を見つけました。地元の方、いやこの土地の所有者が作ったのでしょう。何もなくなってしまった自分の土地。しかし、ここに必ず戻るという意思を看板で示しているように感じました。

 震災の爪痕残る沿岸部の街々を巡りました。そこで感じたのは人間がいかに自然に対して無力であるかということ。でも、壊滅的な被害を受けながらも今後も地元で暮らしていきたいと考えている人が多いこと。私自身も一時期は移住すれば良いのではと思ったこともありました。しかし、それは仕事など目先の生活を復興できるものの、地元を棄てることで地域復興を放棄することになります。同時に移住先でも食文化など、これまでの生活様式との順応性もあり、内面的そして本質的な復興にはならないことが考えられます。特に農業や漁業で生活していた人は、移住先で再び同じ仕事をすることができるかというと、決してそうではありません。
 そうすると、やはり地元で再建していくしかないという、地元の方々の郷土愛を最大限に尊重すべきではないかと感じました。地域の復興にあたり、これまで通りいかない課題や妥協も山積することでしょう。地域のしがらみが絡むため議論が紛糾することも十分ありえます。ただ、地元で暮らしていきたいという意思は共通しているのですから、互いが少しずつ折れることで一日も早い復興を実現させてほしいと願います。

 長々と続きました、三陸地方のレポートは今回で終わりです。残りは仙台市内の様子を取り上げて、東北レポートを締めくくります(続く)。
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