名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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2012夏 若狭湾への旅4・若狭湾のイニシアティブ
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 8月26日に行ってきました若狭湾の旅。第4回の今回は若狭湾の交通事情の考察と、そこから見えてくる問題に関する話題です。
 敦賀12:20分発の東舞鶴行で小浜方面へ向かいます。JR小浜線は、福井県敦賀市の敦賀駅から京都府舞鶴市の東舞鶴駅を結ぶ84.3kmの鉄道路線です。1970年代から若狭湾沿岸部の嶺南地区を中心に電化を求める声が強かったことから、2000年7月から電化工事に着手し、2003年に電化されました。
 新しい電車が走るので期待していたのですが、正直なところ乗り心地はイマイチでした。とにかく路盤の状況が悪いんですよね。揺れがかなりひどい印象を持ちました。保線作業までをコスト削減で疎かにしてしまったJR西日本のローカル線らしいといえば、そうなのですが。
 こんなローカル線にも原発マネーが投入されています。前述の電化工事に際しても、総事業費は約101億円で、福井県が27億5700万円、沿線の8自治体が13億7800万円、京都府と舞鶴市で1億8000万円を負担。残りの約57億円の民間負担のうち、若狭湾に原子力発電所を持つ関西電力・日本原子力発電と敦賀市を管轄する北陸電力が合計54億円を福井県に寄付したそうです。
 しかし、電化費用を抑えるため変電所の数を通常より減らしたことからスピードアップができず、駅の分岐器にはスプリングポイントなども残るうえ、制限速度25km/hの区間があるなど線路の規格が悪いため、電化効果は限定的だそうです。
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 敦賀市街地を離れると目に飛び込んでくるのは、建設中の高速道路。既に小浜まで開通している舞鶴若狭自動車道を敦賀の北陸自動車道に接続させるための延長工事が進んでいました。海水浴シーズンの国道27号線の大渋滞はひどいものでしたが、高速道路が開通すれば地域の自動車交通事情は大幅に改善されるものとみられています。同時に遅い・本数の少ないJR小浜線が更に苦境に立たされることでしょう。
 この舞鶴若狭道、地元の人には非常時の輸送経路として待望の高規格道路になるのでしょう。小浜から舞鶴・福知山・丹波篠山を経由して吉川で中国自動車道に接続する経路ですが、その吉川は兵庫県三木市、神戸の更に西に位置します。大阪・神戸の大都市や、沿線の篠山・福知山・舞鶴には合理的なルートですが、伝統的に京都への流動が大きい若狭湾沿岸地域には、恩恵を十分に得られない気もします。都市部主導の論理が優先され、地域の論理が蔑ろにされている印象を持ちます。
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 上中駅付近に、こんな看板が立っていました。「琵琶湖若狭快速鉄道の早期実現!」。
 鯖街道に代表される京都・大津と小浜とのつながりは古代からのもので、明治時代に鉄道が開通すると、この地域を鉄道で結ぶ計画も明治30年代から浮上。1920年(大正9年)に江若鉄道が設立され、翌年に滋賀県の三井寺下~叡山間6kmが開業。10年後の1931年には浜大津~近江今津間51kmが開通するも、そこから先は建設費用の枯渇と県境を跨ぐ人口希薄地帯であることから断念。しかし、福井県若狭地方への鉄道延伸は1922年公布の改正鉄道敷設法に盛り込まれ、戦後は国鉄にその計画を引き継がれます。1962年(昭和37年)に大阪と北陸方面を結ぶ短絡線として国鉄湖西線建設計画が浮上すると、経路がほぼ並行する江若鉄道は路盤を買い上げて転用することで決着し、江若鉄道は1969年10月限りで鉄道事業を廃止し、1974年(昭和49年) 7月20日湖西線が開業。しかし、若狭への鉄道計画は国鉄の経営悪化によって計画がとん挫したまま、現在に至ります。
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 地図を見て、いつも思います。なぜ、若狭湾沿岸地域は福井県なのかと。そして、この地域のイニシアティブの弱さも痛烈に感じます。同じ福井県なのに言葉も東北弁の様な越前弁とは違い、完全な関西イントネーション。地元の人の志向も京都・大阪方面に向いています。電力会社も敦賀市以外は関西電力管内。でも、福井県に属することになったのは、地域の政治力や経済力の絶望的な弱さが影響しているのでしょう。
 このエリアが滋賀県又は京都府だったら、果たしてどうなっていたのか。近江今津への鉄道だってとっくに開通していたことでしょう(画像はJR小浜駅の給水塔)。歴史を紐解くと、1876年(明治9年)8月21日から1881年(明治14年)2月7日までの4年半は、滋賀県に属していた時期があります。しかし、それが短命で終わった理由は福井県独立闘争に巻き込まれてしまったからです。当時、石川県の一部に編入されていた現在の福井県嶺北地方では不満が多く、福井県の独立を狙うも単独県として独立するには規模が小さい事から、強引に敦賀+若狭の嶺南地方を編入することで独立させてしまい、現在の行政区分ができあがってしまいます。福井県も若狭地方へ格差是正の対応は行ったようですが、現在も地域格差は残ったままです。
 福井・滋賀・京都、どの府県に属しても周辺部扱いとなる若狭湾沿岸地域。原発銀座など県都や都市部に搾取される運命にあったのかもしれませんが、生活圏・文化圏を分断されることが、地域の発展に大きな支障を来しているのは、この地域の実情を見ると分かる様な気がします。
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 現在も近江今津~小浜間は「若江線」として、西日本JRバスによる運行が続けられています(画像はJR小浜駅前にて)。このバス路線は前述の江若鉄道からの伝統ある路線ですが、同時に若狭湾と滋賀県を繋ぐ象徴的な存在でもあります。地域格差が固定化された現在、鉄道敷設は夢物語で終わりそうです。
 鉄道や自動車が普及する以前の時代、若狭湾で取れたサバを小浜から徒歩で京都に運んだ道・鯖街道。サバに塩をまぶして夜通し京都まで運ぶとちょうど良い味になることから、運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通したと言われています。鯖街道を通じ、いまだに地域間の結束は強いのですが、その距離感は時代が変わっても縮めることができませんでした。
 若狭湾沿岸地域が得られなかったイニシアティブ。それを握る出来事が2012年夏に形を変えてやってきました。魚や鯖寿司を食べることなく、小浜を通過し更に西へ。その現場に向かうことにします(続く)。
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