名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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木曽川「日本ライン下り」存亡の危機
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 岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市の木曽川を下る遊覧船「日本ライン下り」が来年度の運航を休止することが明らかになりました(画像は2012年12月18日中日新聞夕刊より)。
 日本ライン下りは、木曽川の川文化を現代に伝える象徴でもあります。もともと、木曽川は上流からは森林資源、下流からは生活物資が行き交う交易の場でした。特に有名なのはヒノキに代表される木材輸送です。木曽川とその支流である飛騨川や付知川・王滝川は、鉄道やクルマなど輸送機関の無かった時代には豊富な木材の輸送経路として機能しました。木曽や飛騨からの木材は山で切り倒すと川に流され、錦織(岐阜県八百津町・飛騨川を除く木曽川水系)や下麻生(岐阜県川辺町・飛騨川)で集められると筏に組み直して、桑名(三重県桑名市)や白鳥(名古屋市熱田区)に運ばれました。
 しかし、中央西線(鉄道)や森林鉄道の開通により、輸送機関が鉄道に移ると川による木材輸送は衰退し、1923年(大正13年)に木曽川を堰き止めた大井ダム(岐阜県恵那市)が完成すると木材輸送そのモノができなくなり、1925年(大正15年)に錦織網場も廃止。木曽川による木材輸送は消滅したのです。
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 時期を同じくして勃興したのが「観光」という概念。日本の景観に対する新しい見方を広め「日本風景論」(明治27年)を著した地理学者・志賀重昂(しがしげたか)が、1914年(大正3年)5月に当時の(岐阜県)加茂郡教育会の講師に招かれた折に犬山までの木曽川下りを楽しみ、その風景がヨーロッパのライン川に似ているとして、この間の木曽川の河川美を「日本ライン」と命名したことにより、輸送機関から観光地としての歴史が始まります。
 「日本ライン下り」は大正時代から本格的に始まったそうですが、現在の日本ライン下りは1950年に運航開始。毎年3~11月に木曽川両岸の奇岩を見ながら美濃加茂市から犬山市の13kmを約1時間かけて下るものです。最盛期の1970年代は、年間50万人の利用者を記録したものの徐々に減少。1993年に死者1名15人負傷の転覆事故を起こし、利用者の減少に歯止めがかからなくなり、2001年に年間7万人まで減少。これまで名鉄子会社の「日本ライン観光」が運営し、日本ライン今渡駅・美濃太田駅からのバス運行(東濃鉄道)や美濃太田のシュロス(レストハウス)運営を含めて、名鉄グループが一手に運営していましたが、2003年に採算割れと名鉄グループの大リストラの一環で解散。その後は犬山市や各務原市の企業経営者出資による「木曽川観光」が運営を引き継いでいましたが、美濃加茂市の乗船場へ行くバス路線も廃止となり、利用者はさらに減少し運営環境は厳しくなりました。
 そして、昨年8月に静岡県で死者5人を出した天竜川下り転覆事故がとどめを刺してしまったようです。昨年は内部留保を切り崩し300万円の赤字。今年も1000万円近い赤字で採算が取れないと判断したようです。
 この話題、中日新聞が夕刊で先行し、翌日朝刊で各紙が取り上げていました。中日新聞に至っては朝刊でダメ押しするほどの熱の入れようでした(画像は2012年12月19日中日新聞朝刊より)。
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 少し前に、近年の運行状況について岐阜新聞が先行報道していました。昨年の利用者数は2万3000人、今年の利用者数は過去最低の1万8100人にまで落ち込んでしまっていたようです(画像は2012年12月1日岐阜新聞朝刊「県内版」より)。更に一昨年は約3万2,000人だった(2012年12月19日読売新聞による)ということで、前年比25%前後の大幅な観光客減少が3年も連続でしていたわけです。天候不順や景気後退・船舶事故の風評など外的要因に限らず、経営ビジョンにも問題があったように感じます。
 実は私も利用したことはありません。調べてみると、乗船料金は大人1人3,400円!!びっくりしました。そりゃ、招待でもされない限りは利用できないですわ。すると、団体のツアー客がメインとなるわけで、より厳しい運営環境だったことが伺えます。
 そもそも、川下りは一方通行ですから、商売道具の船はもちろんのこと、乗船場へクルマで来たお客さんも下船場から再び乗船場まで送り届けねばなりません(ここはクルマの回送はやっていないそうです)。これだけでも結構コストがかかります。また、日本ラインの拝観料や船頭さんの技術料も考慮すると、どうしても料金は割高になるのが何となくわかります。
 しかし、ライン下りの振興策を考えるのは随分大変かと思います。犬山の観光とリンクさせると言っても、ライン下りはわざわざお客さんを美濃加茂まで呼び込む必要がありますからね。「日本昭和村→ライン下り→犬山観光」なんて行程は観光バスツアーぐらいしかやらないし、その企画・アイデアを考えるのは結構難しい気がします。
 江戸時代から続いた木曽川の水上交通。そのDNAを受け継いで1世紀近く続いた日本ライン下りの歴史は、断絶の危機に瀕しています。

【参考】木曽川観光公式サイト
http://www.kisogawa-kankou.com/
【補足】2012.12.22
 画像を追加の上で文章を加筆修正しました。また、来年の日本ライン下りは休止することが正式に決まってしまいました。
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