名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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近江八幡散策2・八幡堀の奇跡
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 滋賀県近江八幡市を訪ねる旅の特集2回目です。今回は近江八幡市の古い街並みを取り上げます。
 近江八幡市の古い町並みはJR近江八幡駅から琵琶湖寄りに約2㎞ほど北へ離れた所にあります。近江八幡の街並みは、天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山(画像奥の山)に城を築き開町したことに始まります。秀次は八幡の城下町と琵琶湖とを繋ぐ「八幡掘」を開削し、湖上を往来する船を城下に寄港させることで、人・物・情報を集め、さらに城下で楽市楽座制を実施することで大いに発展し、近江商人活躍の原動力となりました。
 ところが、天正18年(1590年)に秀次が移封され京極高次が城主となると、わずか5年後の文禄4年(1595年)に八幡山城が廃城となります。城下町商人としての特権は失われましたが、 船や街道を利用して多くの人や情報、文化が入ってくる地の利を活かし、その先進性と自立的な商法により近江八幡を本店として江戸や大坂に出店を設けるなど活躍していきます。今なお碁盤目状の整然とした町並みは旧市街地に残され、特に新町や永原町にはかつて の近江商人本宅の家々が立ち並び、八幡堀に面した土蔵群は往時の繁栄を偲ばせます。
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 また、近江八幡は織田信長が岐阜城から安土城を経由して京都に向かう道として整備したとされる、中山道の脇街道である京街道(滋賀県野洲市行畑で中山道から分岐、琵琶湖沿いに八幡・安土・彦根を経由して、滋賀県彦根市鳥居本で再び中山道に合流する全長41kmの道。彦根道・京道・八幡道の異名もある)も走り、交易の地としても栄えました。この道は将軍上洛に使われ、参勤交代での使用は認められていませんでしたが、唯一朝鮮通信使には通行が認めていたため「朝鮮人街道」という異名もあります。
 朝鮮通信使とは日本へ派遣された李氏朝鮮の使節のこと。室町時代から続いていたのですが豊臣秀吉の朝鮮侵略以後、断絶していた日朝関係の回復を願った徳川家康が、対馬藩を通じて朝鮮へ幾度と使者を送り、慶長12年(1607年)に正式に使節を迎え入れることとなり、文化8年(1811年)までに計12回の通信使が来日しました。当初の3回は回答兼刷還使(家康による国書の回答と日本に連行された捕虜を連れ帰る)でしたが、それ以降は将軍の代替わりの際の祝賀へと変化していきました。
 通信使の一行は漢陽(ソウル)を出発し、釜山より海路で対馬・瀬戸内海・淀川を経て京都へ到着、その後は陸路で中山道・東海道を経て江戸を目指す約2000㎞に及ぶ、往復で約1年もの歳月を費やす移動工程だったそうです。また、通信使は外交に限らず文化使節的な面も持っており、学者や文人、画家や書道家も同行する500人もの大所帯であったことから、鎖国をしていた当時の日本文化に影響を与えたそうです。
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 近江八幡の城下町最大の特徴である八幡堀は全長4,750mにも及び、現在は遊覧船も行き交う観光資源となっており、時代劇の撮影も行われるほどの魅力がありますが、この八幡掘にも物語があります。
 交通路や生活の場として長らくその役目を果たしてきた八幡掘でしたが、明治以降の陸上交通の発展に伴う街道の衰退及び水上交通の衰退が近江八幡の街に暗い影を落とします。更に生活様式が変わっていくと、昭和30年代には八幡堀は排水路でしかない忘れ去られた存在となり、昭和40年になると八幡堀に堆積したヘドロは1.8m、総量50,000㎥、蚊やハエの発生源や市民による不法投棄の場所と成り果て、先人達の遺産は無用の長物にまで姿を変えていたのです。近江八幡市は都市基盤整備の名目で八幡掘の埋め立てを計画し、滋賀県も改修工事としてこの計画を容認します。
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 ところが、1972年(昭和47年)に近江八幡青年会議所が「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」と全市民へ浚渫と復元を呼びかけます。「今現在、我々が存在するのも八幡掘があったからであり、街の歴史が詰まった堀を守らなければならない」という思いからでした。更に青年会議所は1975年(昭和50年)に「死に甲斐のあるまち」をコンセプトにした新たな運動を展開します。これは、働き甲斐や生き甲斐のある場所は複数あれど、死ぬ場所は一つしかなく、この街で生涯を終えることに後悔しない街にしたいというものに発展します。
 青年会議所は県土木事務所等との折衝を続けながら、毎週日曜日に会員自らが八幡堀へ入り自主清掃を始めます。八幡堀の埋め立てを望む市民も多く、市民感情に反した活動にはヤジが飛び、ゴミを捨てる心無い人もいましたが、活動の継続とともに市民の目も変化しすると、パンや牛乳を差し入れや清掃作業を手伝う人、自社のダンプやユンボを貸出してくれる建設業者も現れ、八幡堀再生を目指す人で堀端は賑い、活動が近江八幡市の「誇り」を取り戻す事業に成長していきました。同年9月、ついに滋賀県は改修工事を中止、国に予算を返上したのです。
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 その後、八幡堀の保存・清掃活動は街並み保存への原動力になり、1992年(平成3年)4月30日に新町筋、八幡堀周辺、永原町筋、日牟禮八幡宮境内地を加えた13.1ヘクタールが滋賀県初となる、国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けました。街並みを歩く中高年向けの日帰り観光が一般的になると、電車で京都から30分、大阪から1時間、名古屋から1時間半という近江八幡の立地の良さが幸いし、休日には観光客が訪れる様になりました。
 復活した八幡掘は近江八幡のシンボルとして、現在も市民と行政による協力や連携により清掃・保存活動を続けています。もし、目先の利益だけを求めて先人達の足跡を否定していたら、近江八幡は京都・大阪のベットタウンの一つとして数えるだけの「垢抜けない街」で終わっていたことでしょう。
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 現在でも碁盤の目の様に張り巡らされた近江八幡の街には、昭和を彷彿する渋いエリアが随所にあって、そこでは日常生活が営まれています。
 近江八幡は安易な観光振興ではなく、自分の暮らす街に「誇り」を持ちたいとする市民の熱意で「八幡堀の奇跡」を起こしました。日常風景である街並みが風情ある観光として認知されたのは、その副産物でもあります。しかし、現状に甘んじてはなりません。今の近江八幡があるのも、先人達の熱意ある運動があってこそです。これを「過去の出来事」になってしまぬよう、街を守り続けるための今後の取り組みに終わりはありません。
 街並み保存で観光振興しようとする街は数多くありますが、近江八幡の様な熱意のある街は意外と少ないように感じます。自分が暮らす街に誇りを持つにはどうすべきか。そのヒントがこの街にはあると思います(続く)。
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