名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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津島市・天王川公園の藤棚
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 江南市・曼陀羅寺の藤棚を見て、尾張の二大藤棚のもう一つ、津島市の天王川公園の藤棚も見たくなりました。幸いにも今年は江南と津島両市が同じ期間に藤まつりを行うことになり、江南だけでは「片巡り」になってしまうことから、4月某日津島へ行ってきました。
 名古屋から名鉄津島線に乗って津島駅へ。江南と違い、津島は駅から藤祭り会場までのバスが無く、駅から会場まで20分ほど歩きます。ただ、津島は津島神社の門前町。駅前の寂れっぷりは気になりますが、津島神社に近づくにつれ、ところどころに渋い街並みが残っています。軒を連ねる格子戸のある家、屋根神様をまつる家、道々の辻井戸などが残っています。津島の「上街道」とはどんな道だったのでしょうか。
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 上街道、正しくは「津島上街道」というそうです。名古屋から新川・甚目寺・木田・勝幡・津島を結ぶ3里15町(約13.5km)の道。安土桃山時代には津島神社や鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)へ向かう参道として賑わい、江戸時代は美濃街道(甚目寺)から分かれ,津島に向かう道として津島神社の参拝者や、巡見使(米の出来や生活を見るために派遣された人)、商人らが往来しました。現在の名鉄津島線はこの街道に沿って線路が伸びています。
 また、尾張藩(名古屋城下)と高須藩(岐阜県海津市高須城下)を結ぶ高須街道の一部としても機能し、こちらも20年程前まではバス路線が残っていたそうです。
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 街道にありがちな家々が並ぶ中、こんな渋い建物もありました。資料館なんだそうです。
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 津島駅から、ひたすらまっすぐ歩くこと15分ほど。藤まつり会場の天王川公園の案内標識を一旦無視して、進んだ突き当たりに津島の象徴・津島神社があります。津島神社は「津島牛頭天王社」「天王さま」とも呼ばれ、疫病や厄除けの神様として親しまれています。1450年もの長い歴史を誇る津島神社は、「西の八坂神社、東の津島神社」と並び称され、全国に3000余あるといわれる「天王社」の総本社なのだそうです。
 私もいろいろ厄がまとわり付いているので厄払いを願い、藤祭り会場の天王川公園へ向かいます。
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 津島神社から5分ほどで天王川公園に到着です。ここは街道が整備されていなかった鎌倉時代は桑名への渡し船の湊として機能していたそうです。藤棚はずっと奥だそうですので、もう少し進みます。
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「ここだけ見て帰らないでね。」
 ここだけだったら、ブチ切れですよ。
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 公園の中に立つ銅像。この人は片岡春吉という人で「津島毛織業の父」と呼ばれているそうです。少し調べてみました。
 片岡春吉は1872年(明治5年)に岐阜県養老郡多良村(現在の大垣市上石津町)の鍛冶屋の二男に生まれ、年季奉公で部品販売に従事するなか、1892年(明治25年)津島のあさ(織機部品)製造販売片岡孫三郎に見こまれ、婿養子になりました。1894年(明治27年)の日清戦争出兵の際、支給された毛織物の軍服に綿織物から毛織物の時代到来を感じ、毛織物生産を決心したそうです。
 2年間にわたる全国織物地の見学調査の結果、当時日本に一つしかなかった東京モスリン工場に入社し勉強に励み、更に2年後の1898年(明治31年)津島に帰り片岡毛織工場を設立。改良や努力の結果、品質の良い服地を織り上げることに成功。事業が軌道に乗ると、それを地元の人々に技術指導し、時には投資や資金提供も行うことで、津島を中心に西尾張地方の毛織物産地の活性化に寄与した人物なのだそうです。
 銅像は戦前に建てられたものだそうですが、太平洋戦争時の金属供出で一度は失うものの、戦後に津島毛織工業協同組合が再建したのだそうです。片岡毛織は現在も存在しているそうです。
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 藤棚は銅像から更に先、天王川公園の一番南側にありました。出店の数は江南を圧倒していますが、藤棚自体はこじんまりとしています。津島も戦後に市の花を「藤」に制定してから、藤棚の整備を始めたのだそうです。
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 藤棚によって成長を続けた藤と、自生によって成長を続けた藤の対比。
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 津島の藤棚がきれいなのは、直下が川になっているので、夜間のライトアップ時間帯には逆さに映る藤の花も楽しむことができます。
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【2013/09/02 04:12】 | # [ 編集]


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