名古屋・広隆堂ブログ
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広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
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1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

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つばめのバスが巣立つとき2
20090907211434

 JR東海バス一般路線廃止の短期集中記事の2回目である。
 JR東海バスには、つばめのマークの無いバスが存在する。それはガイドウェイバスのゆとりーとラインである。名古屋市の大曽根駅から瀬戸市の瀬戸みずの坂までを結ぶ路線はJR東海バスの単独運行路線だ。この路線も今月一杯で廃止となる。守山区内は市バスが代替バス路線を解説し地域の足を確保するが、尾張旭市・瀬戸市は利用者数があまりに少ないことから代替交通機関を確保しない方針で、守山区志段味から瀬戸へのバス路線が消滅する。

 もともと、名古屋駅から大曽根・小幡・志段味・森林公園を経由して瀬戸追分・瀬戸記念橋まで結ぶ、つばめのバスが運行されていた。その歴史は約50年にも及ぶ。
 戦前から営業していた当時の国鉄バスは、名古屋東部の街を囲むようにバス路線・岡多線を形成しており、かねてから瀬戸より名古屋へ向かうバス路線開設を希望していた。沿線住民から出ていた。しかし、最短経路である瀬戸街道(県道60号線)を通るルートで申請するも、名鉄瀬戸線が並行しているという理由で実現しなかった。
 戦後、瀬戸から本地ヶ原を経由して四軒家を結ぶ道路(現在の国道363号線)が開通した。昭和29年4月、国鉄バスがこの経路でバス路線開設を申請したところ、名鉄もこの経路でのバス路線開設を申請していたことが判明した。
 調整は困難を極め、暗礁に乗り上げようとした頃、当時の守山市(現在の守山区)が志段味地区の交通利便の向上を目的に、瀬戸から志段味経由で名古屋市内へバス路線を開設しないかと打診した。当時の志段味地区は、数年前から名鉄バスが走っていたものの、運転本数も少なく不便だったのだ。昭和30年2月、東京で開かれた運輸審議会の公聴会で、守山市をはじめとする沿線地域の代表からの意見が述べられると、国鉄が経路変更を受諾した。
 こうして、昭和30年12月、瀬戸及び高蔵寺から志段味・小幡・大曽根経由で名古屋駅を結ぶ路線が開設されたのだ。志段味地区は非常にラッキーな形で公共交通を手に入れたのだ。

昭和37年当時の1日あたりの運行本数は以下の通りだ。
南山口行き 3本 (昭和30年12月開設)
品野行き 7本 (昭和33年7月開設)
曽木温泉行き 5本
岩屋堂行き 4本
明知行き 5本
森林公園行 2本
加納 1本
多治見(愛岐道路経由、名鉄・東濃鉄道と共同運行) 14本
(出典:『守山市史』昭和38年、愛知県守山市)

 実にバラエティに富んでいる。興味深いのは土岐市の曽木温泉や恵那市の明智まで直通する長距離路線が存在していたことだ。ちなみに、この路線は中馬線として昭和62年まで運行が続けられた。
 ところが、いつまでもバスの栄華は続かない。もともと沿線人口の少ないエリアを走る上に、瀬戸から志段味地区を経由することで名古屋まで10km以上の遠回りは、名鉄瀬戸線の近代化及び昭和53年の栄乗入れによって、国鉄バスに致命的な一撃を与えることとなる。国鉄末期には名古屋~瀬戸記念橋間に路線を縮小。JR東海バスに引き継がれるも、利用者の減少・度重なる運賃値上げ・運転本数の削減と悪循環のスパイラルに陥る。遂に名古屋駅への乗り入れが中止され、大曽根~瀬戸追分間に路線も縮小される事態になった。そんな状態でのガイドウェイバス転換話が舞い込んだ。
 名古屋ガイドウェイバスの当初計画では、JR東海バス単独路線として大曽根から瀬戸追分までを結ぶ路線を計画していた。ところが、その後の調整で瀬戸市街への乗り入れが無くなり、瀬戸市郊外の瀬戸みずの坂止まりに変更された。JR東海バスが貴重な収入源である水野団地地区の収入減を削られるのを懸念し、瀬戸市街乗り入れを認めなかったのだと思われる。JR東海バスはこの批判をかわすためだったのか、自社路線で瀬戸追分~中志段味間の路線バスを開設したが、2年ほどであっさりと廃止されてしまった。
 瀬戸みずの坂は新興住宅街で、まだ発展途上にある地域。しかも、みずの坂を含む水野団地エリアはゆとりーとラインで行くより、名鉄新瀬戸駅までJRバスに乗り、そこから名鉄瀬戸線の乗った方が名古屋都心へのアクセスが断然よい条件にあった。また、尾張旭市から瀬戸市にかけては、愛知県有数の公園・森林公園を縦断するため、沿線人口ゼロ地帯だった。この路線の収益性は非常に低く、こうなるのは時間の問題だったのだ。
 つばめのバスは、悲しい宿命を持っていたのだ。(つづく)
20090907211437

<余談>
 ゆとりーとライン大曽根駅の掲示より。
「廃止時間帯は、大曽根~小幡緑地間になります」って、さっぱり意味がわからない。
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この記事に対するコメント
ホントバラエティに富んどる
今から40数年前の国鉄バスは、こんなに行き先があったんですねぇ。当時名古屋駅から多治見駅への路線は愛岐道路経由と内津峠越えの二通りあったという事ですね(但しこちらは国鉄バスは関わっていない。つい最近まで東濃鉄道のバスが走っていました)。

昔は長距離の路線バスなど当たり前の時代でした。明知行きのバスは、私が小学生の頃には2,3本程度に減っておりましたが、それでも健在でした。一度は全線踏破してみたかったのですが、乗ろうか乗るまいか迷っている内に便そのものが無くなってしまい、悔しい思いをしました。
大人になってから日本大正村への観光がてら、国道363号線をクルマで走りました。その時も、昔の国鉄バスはこんな険しい道をウンウン唸りながら走っていたんだなぁと思ったものでした。

名古屋駅から旧幡山村(南山口)や旧猿投町(加納)方面への便があったのにも驚きです。今はそれに代わって名古屋駅から愛環へ直通する列車がその役目を果たしている、という事になるのかな?

それにしても、国鉄バスの当初の希望通りに瀬戸街道か瀬港線(瀬戸以西の国道363号線を地元ではこう呼ぶ)経由で名古屋駅へ行く路線が実現していたとしたら、その後の情勢は全く違うものになっていたでしょう。
【2009/10/05 23:48】 URL | massan #t2LN9IJ6 [ 編集]

Re: ホントバラエティに富んどる
 加納は旧猿投町だったのですか。謎が解けました。ありがとうございます。
 内津峠経由のバスは高校時代に1度だけ、多治見~勝川間で乗りました。全線走破するのは昼間限定の5往復だけという不思議な路線で1993年頃までありました。
 明智といえば、祖母の実家がそちらの方でして、子供のころ瑞浪から明智へ向かう際に陶町で国鉄バスのポールを見た時は衝撃的でした。あのつばめのバスがここまで来ているとは思いませんでしたから。
 でも、瀬戸市上品野町から瑞浪市陶町までの国道363号線のアップダウンは今でもきついのですが、未改良だったころはもっとすごかったのでしょう。確か、種村直樹氏の著書でも瀬戸を出たバスが柿野温泉で運転休憩があったという記述がありました。

>それにしても、国鉄バスの当初の希望通りに瀬戸街道か瀬港線(瀬戸以西の国道363号線を
>地元ではこう呼ぶ)経由で名古屋駅へ行く路線が実現していたとしたら、その後の情勢は全く
>違うものになっていたでしょう。
 
 つばめマークの基幹バスが出来町通りのど真ん中を疾走していたかもしれませんね。国鉄が瀬戸街道や本地が丘(国道363号線)を諦め、志段味を選択したことは決してミスではないと思いますが、やはり国鉄という特殊法人だけに採算よりも公益性を重視せざるを得なかったようですね。それでは民営バス会社はどうにもならないのが明らかなのであって、JR東海バスの運命は早い段階で決まっていたのかもしれません。後に守山の竜泉寺街道で国鉄は名鉄と協定を結びますが、これがもっと早く本地が丘で出来なかったのが惜しまれます。
【2009/10/17 13:10】 URL | 広隆堂@管理人 #- [ 編集]


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