名古屋・広隆堂ブログ
名古屋から発信する、少し偏った情報と管理人の徒然なる平凡な日記。乗り物・旅・名古屋の情報・時事ネタ・テレビ・ラジオを中心にあれこれ思うことを書き綴ります!がんばろう、日本!がんばろう、東北!そして、がんばろう、自分。
広隆堂厳選!!一品入魂!!

すべて、実際に購入して試したものばかり!自信があるから、お勧めできます!Produced by 楽天市場

広隆堂 twitter 支店

最新の情報をつぶやいています。フォロー・ツイート大歓迎!!

FC2カウンター

最近の記事

プロフィール

広隆堂(こうりゅうどう)

Author:広隆堂(こうりゅうどう)
FC2ブログへようこそ!
1976年10月26日名古屋市千種区生まれ。小学校卒業まで名古屋で暮らし、中学・高校時代を岐阜の山奥で過ごす。都会へあこがれ、大学卒業後、名古屋へ舞い戻る。乗り物と旅行、そして中日ドラゴンズを心から愛する。
 子どもの頃からモノ集めに凝っていたが、最近はポイント集めに凝っており、特に航空会社(ANA・JAL)のマイル集めに熱中している。
 人と同じ事をするのが苦手。協調性が無いせいもあって集団で浮きやすい。できないことを無理にするのは疲れるので、典型的なオレ流・ワンマンだとよく言われながら、迷惑をかけないように好き勝手にやっています。
【「広隆堂」の由来】
 「こうりゅうどう」と読んでください。名前は本名の姓名から一字ずつ頂き、人が集う意味のある字「堂」を加えたものです。コミュニケーションの場として活性化されることを願って名付けました。古臭い名前ですが、本人はかなり真剣に考えて付けました。

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

カテゴリー

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

月別アーカイブ

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ローカル線廃止への動き
DSCN9964_convert_20111017091920.jpg
 地域経済の疲弊・衰退が顕著ななか、地方のローカル鉄道線が東日本大震災の影響を表向きな理由に再び廃止へ向かう波が押し寄せようとしており、その流れに追随する恐れが出ています。
 青森県の十和田観光電鉄(三沢~十和田市)が10月7日の臨時取締役会で鉄道事業の廃止を正式に決定してしまいました。同社は経営難から沿線の三沢市、六戸町、十和田市に今後10年間で約5億円の資金援助を要請していましたが、自治体側は10月上旬に「経営改善が見込めない」と要請を拒否したのが決定打になったようです。この地域では東北本線(現・青い森鉄道)から内陸部に向けて十和田観光電鉄と南部縦貫鉄道(これまた濃い鉄道でした)が分岐していましたが、いずれも過去帳入りすることになるようです(画像は2011年10月12日河北新報朝刊より)。
 これで今年度末での廃止が決定した路線は、十和田観光電鉄と少し前に来年3月末での廃止が確定した長野電鉄屋代線の2路線となりました。
DSCN9888_convert_20111010122413.jpg
 私はこの鉄道は未訪ですが、沿線の状況を見ると十和田観光電鉄の経営は相当厳しいようです(画像は読売新聞2011年9月10日青森県版より、名古屋栄での県人会まつりでの記事展示を撮影)。沿線人口は少なく、三沢市は三沢駅が街の南端にあるため東北線に接続させるだけ。六戸町では鉄道は街の郊外を走るだけという惨状で、沿線住民の輸送は期待薄で朝の高校生輸送の他には目立った利用は少なく、十和田湖観光という武器を持っていても十和田湖へのアクセスが四通八達であるため、青森市や盛岡市からのアプローチコースに比べ、一旦三沢から逆方向に戻る格好となるこの路線はルート選定では不利な上に、東北新幹線の八戸・新青森への延長開業により、これまで所要時間で優位だった三沢空港経由のルートの優位性も失われ、更に十和田観光電鉄との交差点に新幹線駅ができなかった(先に廃止になった南部縦貫鉄道との交差点近くに七戸十和田駅ができたのが何とも皮肉!)ことから、十和田湖観光客の誘導が絶望的となるなどジリ貧だったようです。また、経営陣の読みの甘さや長年累積していた企業への不信感から沿線自治体からも支援拒否を受け、完全に四面楚歌状態だったようです。
20111010123007.jpg
 来年4月1日のバス転換に向けて協議を進めていくそうですが、この地域の気象特徴を考えると冬季の輸送が確実に定時輸送できるかがカギとなります。福井県の京福電鉄(現・えちぜん鉄道)が半年で2度の正面衝突事故を起こして運行停止命令を受けバス代行体制になった、いわゆる「負の社会実験」で冬季降雪期の通勤通学で大きな支障をきたし、地元中学生の進学進路まで変更せざるを得なくなった問題を思い出します。

 既に廃止が確定した長野電鉄屋代線の沿線では、既に代替バスへの検討が行われているようです(画像は信濃毎日新聞2011年8月8日朝刊より)。しかし、ここでも鉄道時代に比べて所要時間が大幅に増大することや運賃の問題から、代替バスへの不安が広がりつつあります。鉄道代替バスが代替ではなく、逆に地域の公共交通網を衰退させてしまうパターンはここでも踏襲される恐れが出ています。
20111010123010_20111017093824.jpg
 存廃に揺れるローカル線の特徴のひとつに、生活経済圏の外周が鉄道で、地域の中心地域へのアプローチがバスという、本来の輸送動向が逆になっているケースがあります。東海地方で現存する鉄道では天竜浜名湖鉄道、過去帳入りした鉄道では名鉄三河線の碧南~吉良吉田間などがあります。今回の屋代線もこのパターンです。しかも、このパターンでは鉄道とバスの管轄が別会社で連携が図られないケースも非常に多いのが特徴です。
 屋代線のケースでは鉄道が長野盆地の外縁を走るため、長野市中心部へは鉄道(須坂経由)ではなく最短距離で行けるバスが担っており、特に松代からの長野駅に向かうバスは行政・警察の支援を受け、朝の通勤時にはバス専用レーンが整備され、バスの活性化事例として紹介されるほどです。ところが、このバスは川中島バスの管轄であるため、鉄道代替バスを担当する予定の長電バス管轄でないことから、バス同士の連携が図られるかは疑問視されます。

 この他にも名前は伏せますが存続が「危ない鉄道」が全国各地に点在しています。JR東日本や三陸鉄道も東日本大震災被災地域の鉄道を復旧させると言いますが、膨大な費用がかかることから慎重な判断をすべき段階に来ています。でも、これらのローカル鉄道線を必要としている人がいます。地域を衰退させることの無いように、これ以上の廃止が出ないことを祈りたいです。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ:鉄道関連のニュース - ジャンル:ニュース

この記事に対するコメント
屋代線なくなるのか・・・
実は去年の夏に某アニメの舞台になったことで訪れた際、この路線を使ってるんですよ。
その際に松代駅を訪れたのですが、全国でも珍しい停まる場所が逆なんですよね(駅舎のある3番線に須坂行の電車が止まり、1番線のある2番線に屋代行の電車が停まる)。

存続運動で動いている人もいましたが、全く浸透しなかったんでしょうね・・・。

確かに長野市内に出るなら、アルピコ(川中島バス)に乗った方が早いんですよねぇ。上田に行ったついでで寄って行ったので、乗る機会に恵まれましたが、そうでないと乗らないのかもしれません。

廃線の日に行こうか気持ちが揺らいでます。残念でなりません。
【2011/10/18 00:15】 URL | アレックス #O42XVKV. [ 編集]

そうなんですよねえ
中心都市と無関係の方向に路線があるというのは、第三セクターにもしづらく、廃線の道を歩んでしまうんですよ。国鉄との貨物輸送がメインだった名残なんでしょうが。
【2011/10/19 20:37】 URL | くっち~ #JyN/eAqk [ 編集]

屋代線
>アレックスさん
>確かに長野市内に出るなら、アルピコ(川中島バス)に乗った方が早いんですよねぇ。
>上田に行ったついでで寄って行ったので、乗る機会に恵まれましたが、そうでないと
>乗らないのかもしれません。
 鉄道敷設当時、沿線は旧街道筋で往来は多く長野市街とは完全に別の街として発展していたため、後に長野市の一部のなると予想できなかったのでしょう。また、鉄道敷設について山同様に障壁となっていたのは川です。橋を架ける費用が捻出できないなどの理由でルート選考を変更した鉄道が数多くあります。ここの場合は長野市街地へダイレクトにつなげるには千曲川・犀川と2本必要ですからね。技術革新の勢いで架橋が容易になったのは、ここ2~30年の話です。

>廃線の日に行こうか気持ちが揺らいでます。残念でなりません。
 私も考えています。十和田は遠いですが、長野なら何とかなりそうですよね。

>くっち~さん
>中心都市と無関係の方向に路線があるというのは、第三セクターにもしづらく、
>廃線の道を歩んでしまうんですよ。国鉄との貨物輸送がメインだった名残なんでしょうが。
 屋代線は随分早い段階から衰退が始まっていたようです。まず、沿線地域が昭和の大合併で長野市の郊外地域となり地域の拠点性が失われたこと、次に国鉄からの直通列車(上野から屋代線経由で湯田中行きなんて急行列車があったそうです)が昭和57年に廃止されたこと、更に長野市街への路線バスが充実したことで、純粋に沿線住民だけの利用に頼らざるを得ない状況でジリ貧になってしまったようです。
【2011/10/30 18:23】 URL | 広隆堂@管理人 #- [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://kouryudo.blog61.fc2.com/tb.php/991-8dd7b78b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。